シスターフッドとは何か。
皆さんはご存知だろうか。作品の紹介に使われている言葉として目にしたことがある方も多いのではないだろうか。
調べてみれば、シスターフッドは、「女性同士の連携」や「絆」と表現されている。
ここで私たちは考える。なぜ改めて「女性同士の連携」が「シスターフッド」という言葉として、ジャンルとしてこの社会に存在するようになったのか。本企画では3回にわたってシスターフッドを読み解いていく。
第1回目となる今回は「知る」視点から。慶大文学部、小平麻衣子教授に話を聞いた。
シスターフッドという言葉はうっすらと霧に包まれている。時にはその得体の知れなさに、「あえて触れたくない」と感じてしまう方もいるのではないだろうか。そこでまずその実態を明らかにすべく、小平麻衣子教授(慶大文学部 国文学専攻)に話を聞いた。
シスターフッドという言葉を理解するため、時は1960〜70年台の第2波フェミニズム期まで遡る。
当時、アドリエンヌ・リッチが提案した、レズビアン連続体という概念が生まれ、共感と批判を呼んだ。フェミニズムを唱える女性たちでさえも、異性愛中心だった状況を見直そうとする概念だ。対して、同時期に生まれたシスターフッドという言葉は「性愛を伴わない、セクシュアリティ抜きで成立する女性同士の絆」という、ハードルの高さを感じさせない、気軽に入りやすい言葉として受け入れられるようになった。
さらに近年になると、横のつながりが強固な男性に対し、女性同士は常に男性を介したつながりしか持てないことに対して疑問が呈されるようになる。異性愛も含む全ての上下関係から自由になりたいという大きなうねりの中で、シスターフッドという言葉が市民権を得るようになった。
さらに、シスターフッド作品の流行には精神面以外の要因も関係するという。
「従来、『奢られる』立場にいることが多かった女性は、コンテンツを選択する側に回ることができなかった。しかし、女性の経済力が高まる中で、市場のターゲットに女性が含まれるようになり、女性の共感に重きを置いた作品が生まれるようになったのだと思います」
シスターフッドの向かう先は資本主義的家父長制なのではないかと推測する小平教授。
「男性と一括りに言っても個々人で見ると皆考え方はそれぞれ違う。もちろん家父長制に息苦しさを抱いてきた男性もいると思う。シスターフッドはそういう社会の息苦しさすべてに一石を投じるものなのではないでしょうか」
小平教授は女性同士の連携を描いた作品の先駆けとして、大正から戦後に活躍した小説家・吉屋信子氏の作品を挙げる。
「当時の女性たちは結婚するだけが道でないと思いつつも、現実的に考えれば女性が食べていくには結婚するしかなかった。だからこそ吉屋信子作品では、女学校時代限定の女性同士の強い関係性が描かれている」
では結局、シスターフッドが描く女性同士の関係性の正体とは何なのか。小平教授は「物語の主人公の関係性をどう捉えるかは読者次第で、見る側が何を投影するかは自分で決めていいことだ」と話す。
「女性同士の性愛はないものとされてきた歴史の中で、友情でカモフラージュしながら性愛を描いた作品があるのも事実。しかしそれも違う読者からはシスターフッドとされるかもしれない」
「フェミニズムにも色々な種類があるように、シスターフッドと言ってもその言葉の意味は置かれた立場によって変わってくる。時には意見の対立が起きるかもしれないけれど、分断はそれだけその考え方が広まった証とも言える」
私たちがどう感じるか、何を考えるかということは、常に私たちに委ねられている。
第2回は「書く」視点からシスターフッドについて考える。
(小島毬)