「リンゴ事件」って?

6大学野球の慶早戦において、各チームのベンチ・応援席の場所が固定されているのは知っているだろうか。慶應が3塁側、早稲田が1塁側だ。実は、応援席が決まっているのは慶早戦のみで、その他の大学(明治、法政、立教、東大)との試合の際は初日と二日目で入れ替わる。では、なぜ慶早戦のときにだけベンチ・応援席があらかじめ決まっているのだろうか。この謎を解く鍵となるのが、今年で90年前に起きた「リンゴ事件」だ。

「リンゴ事件」とは、1933年10月22日、東京6大学秋季リーグの慶早戦第3戦で起きた大乱闘事件のことである。第3戦かつ乱打戦ということもあり、両大学の応援はかなり熱がこもっていた。事の発端となったのは、2回に起きた審判の判定とそれに対する抗議だった。早大の投手が投じたボールが一度はストライクと宣告されたものの、慶大の水原茂三塁ベースコーチの抗議によりデッドボールと判定が覆ったのだ。これによって両軍の緊張が高まった。さらに8回にも慶大が2塁に盗塁を仕掛け、一度はセーフと判定されたものの今度は早大側の抗議によりアウトに覆ってしまったのだ。これに対し慶大側は猛抗議した。両軍はさらに興奮状態となる。そして、9回守備についた水原選手に向かって3塁側早大応援席からゴミやリンゴの芯が投げ込まれた。水原選手がこれを早大側に投げ返したことにより応援席はさらに激昂してしまう。そして、慶大が9回裏に9−8でサヨナラ勝利を決めると同時に早大応援団が慶大側の応援席とベンチになだれ込む大乱闘が起き、警官隊までもが出動する騒ぎとなってしまった。また、この時に慶大応援部の名誉ある指揮棒が紛失してしまうほか銀座で祝杯を挙げる慶大応援団のもとへ早大応援団が乱入して騒ぎになるなど、双方の睨み合いが続いた。翌日の新聞では、この一連の事件を単なるスポーツとしての問題ではなく社会問題として取り上げて国民的関心が高まった。一時は慶早戦が中止になるのか、と騒がれたほど大きな問題となった。そして慶應・早稲田両校による協議が重ねられた結果、最終的に早大野球部部長の辞任と慶大の水原選手の謹慎の発表により決着が着き、騒動は収束した。この事件を契機として、慶早戦に限り慶應の応援席を3塁側、早稲田の応援席を1塁側と固定することとなった。なお、紛失した指揮棒は戦後満州で発見されたという。

慶早戦にのみベンチ・応援席が固定された背景に「リンゴ事件」が大きく関わっていたことを理解いただけただろうか。最後に、白熱し続ける6大学秋季リーグの慶早戦をぜひ足を運んで神宮で観戦していってほしい。テレビやスマートフォンなどの画面越しからでは味わえない、慶早戦独特の熱のこもった試合や応援を直接自分の目で見ることはとても価値のあるものになるに違いない。慶大野球部の奮闘を最後まで応援で後押しし、塾生皆で優勝を分かち合おう。