「新たなニュース文化の形成には新聞の役割が欠かせない」。こう話すのは、ジャーナリズムが専門の山腰修三法学部教授だ。近年、若い世代を中心に、新聞を紙で読む習慣がなくなり、新聞業界の衰退は急速に進んだ。だが、山腰教授は、「新聞には、多数の記者や、細分化された取材体制を有する組織ジャーナリズムとしての存在意義がある」と話す。

 

ニュース文化の担い手が多様化

山腰教授の定義する「ニュース文化」とは、ニュースをめぐる実践・規範・価値観のことで、ニュースとは何か、どうあるべきかの理解を形作るものを指す。

従来、ニュース文化はプロのジャーナリストの独占物であった。飛躍的なデジタル化に伴い、事件や事故に居合わせた一般の個人がスマホで写真や動画を撮影し、SNSで発信できるようになったことで、個人がニュース文化の担い手になる現象が生まれている。

多くのデジタルメディア空間では、従来ニュースになり得なかったインフルエンサーの発信までもが、同じ「ニュース」とみなされている。いわば、「何がニュースか」という枠組みが曖昧になったのだ。その結果、民主主義の維持に必要な情報が共有できない、フェイクニュースが拡散されるなどの問題が顕在化している。

 

新聞がニュースを統率せねば

今こそ、デジタル空間にあふれ出すニュースを是正し、価値を再認識していくことが必要だ。そのために、新聞が果たしうる役割は3つあると、山腰教授は指摘する。

1つ目は、ニュース制作の実践を通して、優れたニュースとは何か、なぜニュースが大事かを社会に発信することだ。健全なニュース文化を享受していくためには、新聞が提供する質の高い調査報道などに対して、人々が価値を見出し、対価を払うことが必要だ。

2つ目は、組織ジャーナリズムとしてプロのジャーナリストを育成することだ。我が国の雇用慣行に照らせば、ジャーナリストは企業内で育成することが一般的だ。フリージャーナリストの増加が見込まれる現代においても、新聞社組織がジャーナリストの輩出に寄与することが求められる。

3つ目は、ニュース文化をほかのメディア、行政、企業、個人との結節点にすることだ。新たなニュース文化は、新聞だけで完結し得ない。例えば、地方紙などのローカルメディアにおいて、地域の課題を住民に発信した上で、行政やNPOと共同し、解決していく手法がある。「異なる立場の他者とコミュニケーションをとり、ニュース文化と民主主義の文化をうまくつなぎ合わせることが重要である」と山腰教授は指摘する。

 

新聞読者の力にも期待

今後、さらに新聞の強みを発揮していくには、読者が新聞の報道に価値を見出し、共感していくことも欠かせない。

新聞は長年、調査報道のような固いニュースと、スポーツ・文化のような柔らかいニュースを1つの「新聞紙」に閉じ込めることで、調和を保って来た。

ネット配信になると、記事1本1本が独立してビュー数を得られたかどうかで評価されてしまう。新聞らしい調査報道には読者が集まりにくいのが現状だ。

「今こそ、新聞がつくるコンテンツのファンを増やしていくことが重要だ」と山腰教授。時間はかかるかもしれないが、良いニュース・価値のあるニュースを幅広く消費してもらうことで、新聞の信頼を勝ち取っていくべきであろう。

これからの新聞に求められるのは、記者がなぜ関心をもって取材し、どのような人に話を聞いて記事を書いたのかを、オープンに説明していくことだ。本紙も読者を想像しながら、日々報道にあたっていきたい。

 

菊地愛佳