慶應義塾は福澤諭吉著『学問のすゝめ』初編刊行150年を記念して「ガクモンノススメ」プロジェクトを展開している。同プロジェクトを「福澤先生が掲げた慶應義塾建学の目的の再確認」と位置付ける伊藤公平塾長に『学問のすゝめ』の魅力やプロジェクトへの思いを聞いた。

「是が非でも、『学問のすゝめ』を読んでみてほしい。なぜみんな学問をするのか、塾生にとって学問とは何なのか。そこには福澤先生の思想が凝縮されています」と熱のこもった声で語る。

自然と溶け込む考え方

「慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず」、「躬行実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり」。6歳で慶應義塾幼稚舎に入学して以来、塾生の心得や、この慶應義塾の目的を学んできた。

「授業を担当する先生が雑談で福澤先生の話をしてくれることも多かった。塾歌や若き血の歌詞を噛み締めながら歌えば、自然と考え方が入ってくると気づかされました」

語りかけ、諭すような筆致で書かれた『学問のすゝめ』も、いつの間にか読者に染み込んでいくのではないでしょうか」。確かに福澤の教えはそういうものなのかもしれない。

「自然と自分の一部になっていた慶應義塾の目的を達成するために、塾長になったという面もありますね」と瞳を輝かせる。

状況により多様な解釈

150年前の書物など自分に理解できるはずがない、そう思ってしまう塾生もいるかもしれない。しかし、「人によって、置かれている状況によって、いろいろな解釈が前向きにできるのがこの本の魅力の一つ。常に持ち歩くようなものではないかもしれないが、いざという時役に立つ」

同書は、各編のなかに、章ごとの内容を端的に表した見出しがついている。
「スピーチするとなったら演説についての章を読めばいいし、気になった時に該当部分を参照できるため読みやすい。福澤先生に語りかけてもらいたい時に読めばいいんです」
「あなたはどう思う?」と突然問いかけられ、自分なりの解釈を述べると、「そう、やっぱり個性が出て面白い」と笑う。それぞれの解釈ができるからこそ、同書を起点として交流できる面白さがある。

「実利性」と「人間性」の狭間で

「実利的なことと人間的なところをどう落とし込むかを我々に問いかけているのではないか」。自身は、同書をこう読み解いている。

「理論的にやったほうがいいことはわかっていることでも、人間的な観点から見ると歯止めがかかることもある。世間の意見に流されがちな日本では、そういう場面が多いと思う」。歴史的に見ても、日本は要所で実利性と人間性の判断に苦悩を強いられてきたという。

「例えばバブル時代、日本は、ニューヨークのロックフェラーセンタービルといったアメリカのシンボルまで、実利を求めて買収しようとした。当然、アメリカとの関係性に亀裂が入り、危機感を覚えた日本は、人間性を重視する方向に舵を切り、主要産業だった半導体の輸出を縮小。日本経済は大きな打撃を受けた。もう少し実利的な部分と人間的な部分のバランスをとった判断はできなかったのか、考えさせられる」

福澤は同書で赤穂浪士の集団自決を批判している。「人間的な感情ばかりに押され47人もの命を犠牲にするのではなく、実利的な判断をし、交渉など他の方法をとることはできなかったのか、疑問を呈していると読み取れる」

塾長として推進している前例に囚われない革新的な大学運営方針を支えるのも、この福澤の教えではないだろうか。

まずは初編を

まだ福澤の思想に触れたことのない人はどのように『学問のすゝめ』と出会えば良いのか。

「とにかく初編の、『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』の続きを読んでほしい」。福澤は、初編で十分に読者の心を惹きつけられるよう、掴みを大切にしていた。初編には、同書のエッセンスが詰まっている。

「初編の後に、第2編以降の気になる部分を読んでみて。自分にとっての『学問のすゝめ』を見つけてください」

社会を良くするのは、天との「約束」

自身が好きな部分は第10編「前編のつづき、中津の旧友に贈る」の一文目だという。

「人たるものはただ一身一家の衣食を給し、もって自から満足すべからず、人の天性にはなおこれよりも高き約束あるものなれば、人間交際の仲間に入り、その仲間たる身分をもって世のために勉るところなかるべからず」。故郷・中津のことになると熱くなるという福澤。「その人柄が感じられるのに加え、『約束』『人間交際』という言葉の選び方にも興味が湧く」からだ。

「この『約束』って不思議だと思いませんか。福澤にとって社会を良くすることは、人が天と結んだ約束なんです」

「人間交際」は福澤によるsocietyの訳語だ。「これを『社会』と訳さないことから、福澤の他者との関わり方への意識が伝わってくる。「日本には『世間』がある。顔見知りで構成されたコミュニティです。そのコミュニティ同士が有機的に繋がったものが社会であり、そのためのシステムを作るのが学問だと思うんです」。社会を良くするために「人間交際」があり、現代こそ、その重要性は増しているという。

「今、国連の安全保障理事会は機能していないから不要だという意見がある。しかし、国同士で話し合う、人間交際の場があることが重要ではないか」。時に手振りを交えながら力強く語る姿には、塾生のために、日本のために奮闘した福澤と重なるものがあった。

取材後、福澤直筆の掛け軸を紹介してくれた伊藤公平塾長=三田の塾長室

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「ガクモンノススメ」プロジェクトでは、スペシャルゲストを招いた伊藤塾長との対談動画をYouTubeで公開している。第一回目は嵐・櫻井翔氏との対談で、現在公開中。ほかに、福澤研究センター講座2022年度「『学問のすゝめ』150年」を開講中。同書をより深く知ることができるコンテンツとなっている。
https://www.keio.ac.jp/ja/gakumon150/

(西室美波)