多くの学生が騙し騙し受け入れている大学の「今」を様々な切り口から問い直すこの企画。第二回は「教養課程の是非を問う」と題し、2号にわたってお届けしたい。
1991年に教養課程の要件が緩和された結果、多くの大学で同課程の廃止や縮小が進んでいる。
この主流に見える流れを「教養教育が大学4年間全体で行われるべきものと捉え直されてきているとも見られますよね」と教養課程無用論を否定するのは、慶應義塾大学教養研究センター所長の横山千晶教授。
「教員の間では専門と一般教養とを分けて考える意識が薄れつつあり、従来よりも両者間の垣根が低くなってきている」とのこと。
そうだとしても、われわれ学生の目からはその流れはよく見えないのだが。誰にも教養課程が必須というのでは、柔軟性を欠くのではないか。
「すべての専門の土台は、広く世界を捉える『知』に支えられている。それこそが教養でしょう。自分たちが教養課程で学んだことをいかに専門性と繋げていくかが大切なのです」
専門性と繋げるとは。
「将来の自分の目標を考えると、往々にして専門教育だけやればいいという話になる。でも実は目的地に着くためにぜひとも必要な知識やツール、道筋があるはずです」横山教授はそう言って、アメリカのこんな例を挙げた。
「アメリカではメディカル・スクールに行く前に学部で文学を専攻する学生達が非常に多い。人の命や心に直接触れるからこそ、ただの技術屋では駄目ですね。もっともっと大きな土台の上に自分の専門性を考えていく視点が必要となる。そうでないと、専門そのものが脆弱な知に終わってしまうからです」
慶應の学部でも、目標に到達するためにどのような「積み上げ」が必要なのか、カリキュラムをそれぞれ真剣に考えている。横山教授はそれを教員側からも積極的に発信していく必要性を訴える。
「大学も教員も、『どうしてこの科目が必要なのか』をアピールしなくては駄目。いわゆる『パンキョー』を切ってしまう学生に対して、必要性と魅力を説明することは研究者としての矜持でもあります」
それと共に「学生も『この授業が将来自分にとってどう役立つか』の視点を常に持ち続ける必要がある」と。自分からその視点を求めて教員に伝えていく姿勢も必要だ。
最後に教養課程が今後どう変わっていくか、教授のご意見を伺った。
「先ほども述べたように教養教育は1・2年で、という狭量さはなくなっていくと思います。4年間の過程を通して教養と専門が共存していくような形になる。それが複雑化する時代の、社会的な要請でもあると思っています」
(岡本直人)