ミス慶應コンテストは、1972年の第1回から運営団体が何度か変わりながら開催されてきた。ミスター慶應コンテストは、2006年にスタートし、昨年「慶應ボーイコンテスト」にリニューアルされた。ともにメディアに取り上げられる機会も多く、社会的注目度は高い。

しかし近年の批判を受け、複数の大学で開催を中止する動きがある。また、代替案として、顔を隠す審査(立命館大)、性別にとらわれない審査(上智大)を提示する大学も見られる。この流れの中で、ミス慶應・慶應ボーイコンテストは例年通り開催され、6月より投票が始まった。

これまで本紙はミス・ミスターコンについて議論することなく記事を掲載してきた。この連載の目的は批判することにあるのではなく、それらの問題点を踏まえてミス・ミスターコンを議論することにある。連載の第1回として、ミスコン研究・ジェンダー理論で知られる武蔵大学(他)非常勤講師の高橋幸さんに、ミス・ミスターコンの問題点について話を聞いた。

ミス・ミスターコンがはらむセクシズムとルッキズム

ミス・ミスターコンの問題点として現在指摘されるのは、セクシズム(性区別・性差別主義)である。「男性か女性か」という二分法で参加者を区別することは、性自認がその枠に収まらない人(ノンバイナリーなど)をミスコン・ミスターコンから排除することにつながる。

もう1つは、ルッキズムだ。ルッキズムは、外見の良さで人を判断することを指し、その際の「画一的な美の基準」が問題視されている。たしかに、ミス・ミスターコンの審査基準は多様化されつつある。従来のスピーチ力の評価などに加え、SDGs (持続可能な開発目標)に関する活動を評価の対象とする動きも見られる(上智大)。とはいえ、学外の者も多く参加するTwitter上の投票は「女らしさ・男らしさ」という画一的な固定観念によって審査されている側面もあり、出場者たちはその価値観に合わせた自己呈示を余儀なくされる構造があるという。

「ミスコンは女性抑圧的」という課題

上記の2点に加えて、ミスコンが抱えるとされる「女性抑圧性」を批判する声は多く見られる。これは、ミスコン批判が盛んにおこなわれた90年代で大きな論点となった。男性が経済力、女性が性的魅力による価値判断をされてきたという歴史の中で、外見が主に評価されるミスコンにおいては参加者に向けられる性的視線は問題である。

それは審査段階でも起こり得る。2019年に慶應ミスコンを運営する団体が2つ存在した際、学生団体「KOPURE」のプロデューサーが参加者にセクハラをしたと報道され、コンテストは中止となった(現在もミスコンの運営を行う「ミス慶應コンテスト実行委員会」は開催した)。2020年には東大でも同様の事態が確認されている。「ミスターコンの開催により、女性だけが抑圧されているのではない」という声がある一方、このようなセクハラが起きる現状では「ミスコンは女性抑圧的」という論点もやはり必要だと高橋さんは語る。

【ミス慶應運営団体による不祥事】

第2回に向けて

第2回となる次号では、今回整理した問題点を踏まえた上で、求められる改善案や、観客そしてメディアがミス・ミスターコンをどのように捉えるべきか、引き続き高橋さんに話を聞く。

(山下和奏)