舞城王太郎『煙か土か食い物』

講談社文庫 2004年

10年代の幕が開けた今月をもって、名作探訪は最終回を迎える。新しい時代を切り開くエネルギーを秘めた作品を紹介したい。『煙か土か食い物』、舞城王太郎のデビュー作である。
米サンディエゴで働く救命外科医・奈津川四郎は、ある事件に母親が巻き込まれたことを知り日本へ帰国する。故郷・福井県西暁町では連続主婦殴打生き埋め事件が発生していた。事件の謎を追いながら、四郎は奈津川家の暗い歴史を語り始める。
四郎を含めた奈津川四兄弟とその父親・丸雄の確執。少年時代から家庭内では憎悪と暴力の応酬が際限なく繰り返された。畳み掛けるような暴力描写、人物の残虐な振る舞いに辟易する読者もいるかもしれない。
だが、少年期とはそういう、無意味に暴力的で、足らない言葉を必死に掻き集めては、日々姿を変える世界から自分を守ろうとする、そんな作業の繰り返しではないだろうか。舞城は子供の自意識の、残酷さとナイーブさに自覚的な作家だ。
ほとんどリアリティーを失わせるまでの徹底的な暴力と合わせて、奇抜な人物造型も舞城作品が読者を選ぶ理由の一つかもしれない。際物揃いの奈津川家に、頭の狂った猟奇的殺人者、絵に描いたような(つまり胡散臭い)名探偵と、登場するキャラクターはマンガ的な想像力に拠っている。これは物語の記号性を最大限に逆手にとったものといえよう。記号性こそむしろ、高度情報現代を生きる我々にはリアルではないか。
高度なデジタルネットワークで生活インフラを構築した現代社会とは0と1の連続記号に依存する世界だ。巷に広告が溢れるのは、そのような記号イメージが人間の心性(消費行動など)に影響を与えるのを我々が知っているからだ。ブランド品が売れるのは、ブランドという記号が自分の価値を高めると我々が信じているからだ。世界は記号で出来ている。
この無機質な世界認識の下、確かな家族の繋がりを描ききる舞城の振る舞いは実にクールだと言わざるを得ない。そう、『煙か土か食い物』は荒唐無稽な残虐さの皮をかぶった、家族愛の物語でもあるのだ。
その文体についても述べておく。ページ内にびっしりと活字が埋め込まれているのに、グルーヴィングな文章がページを手繰る手を止めさせない。台詞の掛け合いや暴力シーンでのドライブのかかり方は鋭い言語感覚あってのものなのだろう。
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3年4カ月、数にして32の作品を紹介してきた。生きることの魅力を信じられる小説もあれば、自分の価値観を徹底的に破壊する恐ろしい小説もある。名作に出会わずに死ぬことは非常に勿体無い。どうか実りある読書体験を。ご愛読ありがとうございました。   (古谷孝徳)