手がける作品は、どれも大作揃い。「日本で最も視聴率を獲得するドラマディレクター」とも称される福澤克雄氏。これまでの実績を「運が良かっただけ」とさらりと言い放つが、福澤氏の言葉の端々からは作品の持つ力が確かにうかがえる。
学生時代は、ラグビー一色。小学校5年生から厳しい練習に耐え、高校では日本代表に選ばれた。
「もうあの頃には戻りたくない」と話すように、選手生活の厳しさは相当なものだった。だが、厳しい練習に耐え抜いた忍耐力こそが、現在のいかなる困難をも困難とは感じない精神力の強さとなったという。




映画好きの両親の影響で幼い頃から様々な映画に触れていた福澤氏。その中でも『スター・ウォーズ』の衝撃は一際大きかった。
「自分もこんなパワーを与えるものをつくりたい」
いわゆる机上の「勉強」に抵抗のあった福澤氏だが、初めて自分から映画の「勉強」をしたいと思い始める。
ただ、映画監督になる夢を叶える環境は厳しかった。たとえ映画会社である東宝や松竹に入ったとしても映画監督になる道は開かれていない。一旦は富士フィルムに入社するも、映画監督になる夢は諦められなかった。

「物事はやってみないと分からない。出来ないと決めつけているのは、あくまでも自分の中での話」
「テレビ局に入り、ドラマ監督になれば、映画監督に携わる可能性が開かれる」
自らの進退に悩んでいる時に知人から助言され、再就職を決意、TBSに入社。『3年B組金八先生』(第5~7シリーズ)や『華麗なる一族』などのシリアスなものから『Good Luck!!』、『Mr. Brain』等のエンターテイメント性を兼ね備えるものまで幅広い作品を手掛けるに至る。




 

「おもしろい作品をつくる。それは決して笑いの要素でなく、観て良かったと思える作品」
演出家としては、「作る」立場でなく、自らが「観る」立場に立ち作品を捉えるという。
「良い作品が元になっていても失敗作はある」
作品の描き方によって何通りにも違う作品が出来上がる演出の奥深さ。
「余計なものは入れない。視聴者が画面に集中している状況で、あれこれと台詞や動きで説明すると、かえって作品の邪魔になってしまう」

引きの画や表情のクローズアップ。台詞では表せない想いや感情を言葉以外の方法で視聴者に訴えかける。
また「どんな人にも必ずその人にしかない面白みがある」という意識の下、俳優の個性をどう引き出すかを考える。
「演出家はあくまでもサポート役であり、俳優こそがプレイヤー」
俳優が自分の思い描いていたものと正反対の動きをすることで生まれる新しい発見があるという。
伝えたい想いを汲み取ってもらえるよう様々な試行を経て完成する作品。
「人生の見方が変わる。たまには、その人の人生さえも決めてしまう。そういうある人にとって影響を与えるものをつくりたい」
観る者は、作品から何を感じ、何を想うか。
人の心を掴み、揺さぶる力。それこそが福澤氏が語る作品の力であり、その大きさに気付かされる。

(曽塚円)

福澤克雄
1964年生まれ。曽祖父は福澤諭吉。幼稚舎から大学まで一貫して慶應義塾に通う。高等学校では、蹴球部(高校ラグビー部)に在籍、日本代表に選出される。大学では、全国大学ラグビーフットボール選手権大会で優勝、同年、日本ラグビーフットボール選手権大会でラグビー日本一に輝く。法学部卒業後、富士フィルムを経てTBSテレビに入社。テレビドラマ『3年B組金八先生(第5~7シリーズ)』(1999年~2005年)、『さとうきび畑の唄』(2003年)、『Good Luck!!』(2003年)、『砂の器』(2004年)、『華麗なる一族』(2007年)、『Mr. Brain』(2009年)、映画『私は貝になりたい』(2008年)等を手掛ける。