年の瀬が押し迫る中で、コロナウイルス感染拡大に歯止めがかからない。メディアではコロナウイルスで苦しむ様々な人の声が毎日のように取り上げられている。その一方、最近では以前の生活を取り戻したかのようなSNSの投稿も見られるようになってきている。この状況にもやもやとした気持ちを抱いている人も少なくないはずだ。もちろん孤独を抱えているのは自分だけでないことを承知している。それゆえに気持ちに蓋をする。この連載を企画するにあたっても、大学1年生の現状ばかりを強調していいのか悩んだ。そして、メディアで取り上げられているような大学1年生という一つのくくりに束ねられていることに釈然としない思いがあった。
誰しもが経験したことのないようなカタストロフィのなかでも一人一人に日常があり、時々に思っていることがある。しかし、それらの多くは誰かが記録しなければすぐに消え去ってしまう。記憶が薄れていくことは自然なことではあるが、コロナ禍についてふと振り返ったときに何か証のようなものが必要になるのではないか。ここにこの連載としての意義があるはずだ。本文は筆者の目線に立った主観的なものであることをご理解いただきたい。
4月に上京し、1人暮らしをしている。私の場合は対面授業が秋学期全体で1回しかない。まだアルバイトもしておらず、サークル活動もオンラインで行っているため、買い物以外は家にこもる生活をしている。家族や友人との電話も月に数回くらいであり、1人で過ごす時間がほとんどだ。
地元から離れた多くの同郷の学生は緊急事態宣言が発令されると同時に帰省した。しかし私は家族や地域のことを考えると帰省することがどうしてもはばかられた。春学期は大学の授業と新生活に慣れることに精いっぱいだった。大学で人間関係を構築する機会が乏しく、気軽に相談できる相手もいない。レポートの書き方やオンライン授業の受け方など手探りでコツをつかんでいく必要があった。授業ごとに出されるレポートを終わらせるために明け方まで起きていることも多かった。その傍らで、生きていくために一通りの家事をこなさなければならない。実家では家事を手 伝うくらいしかしてこなかったので、洗濯や三食の準備など一つ一つに時間がかかった。勉強や家事など自分の要領の悪さに落胆した。誰にも会えないことや睡眠時間が少ないこともあり、いつも精神状態は不安定だった。高校の同級生と電話するたびに泣いた。それに追い打ちをかけるようにコロナウイルスによる暮らしへの影響が強まっていった。いつもあることが当たり前なのに陳列棚にない商品。ニュースをつけてもコロナウイルス関連のものばかり。なかなか気持ちを切り替えることが難しかった。半年くらいは1人暮らしを続けられると思っていたが、感染対策をとりながら6月下旬にいったん帰省した。
当時は地元の感染者数が少なかったこともあり、1人感染者が出るたびに噂が流れるなど不穏な空気になった。しかし、都会に比べれば平穏な生活ができた。車や自転車に乗って自由に移動ができる。家族がつくったご飯を食べられる。当たり前だと思っていた生活がこんなにもありがたいものかと強く実感した。短期間ではあったがのびのびとした時間を過ごし、良い息抜きができた。
秋学期が始まるのを前に再び上京した。1人暮らしを再開してみると勉強と家事との両立が苦ではなくなっていた。今では自分のために勉強や家事をして時間を使うことができることがうれしい。なかでも、何を食べるかを考えることが1日の中で最も好きな時間だ。いかにおいしくて、簡単で、栄養価の高いものをつくれるか試行錯誤している。トマト煮や豆乳スープ、かぼちゃの煮物など少しずつレパートリーが広がっている。時にはご飯をつくるのが嫌になったり他人がつくったご飯を食べたくなったりして、お惣菜や冷凍食品に頼ることも度々ある。大学の授業もかなり軌道に乗ってきた。タイピングも早くなったし、短時間でレポートを書けるようになってきている。
もちろん今の生活はうまくいっていることばかりでなく、不満に思うこともある。それでもこの状況は決して悲観的なものでないと考えている。自己との対話や暮らしの中で得られる様々な発見が、世界を見る新しい視点を与えてくれるからだ。しばらくはコロナウイルスの影響が続きそうだが、目の前にある日々の暮らしを熟視していきたい。
(篠原 佳鈴)