彼はかつて、日米経済交渉の最前線にいた。グレン・S・フクシマ氏、アメリカ出身の日系3世。日米間で最も激しい経済摩擦が生じたと言われる1980年代半ばから1990年にかけて、米国通商代表部の日本担当部長を務めた。
現在は、フランスに本社を置く世界最大の航空機メーカー、エアバスの日本法人代表。アメリカのボーイング社が高いシェアを維持する日本市場の開拓に挑んでいる。
60歳を迎えた今も、国内外への出張を立て続けにこなす多忙な日々。もし大学生の身分に戻るとすれば「音楽に美術、それから健康管理の勉強も少しやりたいかな」と語る。貴重な余暇の趣味をより深く味わうためだという。
スタンフォード大在学中、慶大には二度留学した。一度目は1969年夏の短期交換留学。日本で学生運動が盛んだった当時、日比谷公園へ学生デモの見学にも行き、帰国の折には「反戦」や「反米」などと書かれたヘルメットをお土産として持ち帰った。
二度目の慶大留学は、1971年から1972年までの1年間。国際センターで日本語学習を続ける一方、聴講生として故神谷不二教授やジェラルド・カーティス客員教授による日米関係論、故石川忠雄教授の中国政治のゼミなどに参加した。
二度にわたる慶大留学を通じて最も良かったことは、「日本の友だちができたこと」。共に勉強した慶大の友人たちは、外務省や通信社など様々な方面で活躍するようになり、その後も交流が続く。こうした交友関係は米国通商代表部時代、交渉相手以外の日本人と接点を持てたという点で非常に有益だった。
これまで実に多様なフィールドで活躍してきたフクシマ氏だが、どのように自らのキャリアをデザインしてきたのだろうか。自身の仕事選びに関してフクシマ氏は、4つの基準を挙げる。
「仕事の内容が面白いか。自分が貢献できるか。自分にとって勉強になるか。一緒に仕事をする人たちが尊敬できる優秀な人々か。中でも『面白い』ということが一番重要かもしれませんね」
そう述べたうえで、「自分にとって何が楽しいことなのか」を知ることの重要性を説く。人生の目標設定に不可欠であるからだ。フクシマ氏にとっては「いろいろな国々を見てそれらの関係強化に貢献することが、自分にとって楽しく意味のあること」だった。現在のエアバス・ジャパンの活動を通じても、ヨーロッパと日本の関係発展に寄与していきたいという。
しかしこれは、単に自らの感性を無批判に信奉して行動せよ、ということではない。自分の感覚を含めた様々な物事について、論理的かつ批判的に考えることも当然大切だ。フクシマ氏はそこに学部における勉強の意義を見出す。
「物事を冷静に分析し論理的に評価して、場合によっては提示されたことを根本から覆すことができる……そのようなcritical thinking(批判的思考力)を身に付けることが、大学の学部教育において一番重要ではないでしょうか」
また語学教育の重要性も強調する。コミュニケーションの手段になることはもちろんだが、「外国語を勉強することで自分の言語をもっと理解できる上、ほかの文化の理解にもつながる」と述べる。
「特に今はグローバル化が進んでインターネットなどが発展し、飛行機で世界中の様々なところにも行ける時代。1つの言語や1つの国に固執していると、相当視野が狭くなると思いますよ」
幅広い見識に支えられた冷静な思考力と、「楽しいこと」へのあくなき探求心。両者を備えていたからこそ、現在の彼の姿があるのだろう。その生き様は、多くの塾生にとって良き参考となるはずだ。
(花田亮輔)