聴覚障害者を「デフ」と呼ぶことがある。デフリンピックは、聴覚障害者のための国際的なスポーツの祭典で、4年に1度開催される。池田ブライアン雅貴さん(総4)は、デフアスリートであり、かつSFCで「聴覚障害児のスポーツ教育」について研究している。耳に障害がありながら、彼は小学生で始めた陸上を慶大體育會競走部でも続けてきた。
※学部学年は取材当時のものです。
デフアスリートの抱える壁
冒頭に紹介したデフリンピックは、スポーツをするにあたって他の障害者とは別の困難があることから、パラリンピックとは完全に別の大会として扱われている。認知度は低く、スポンサーを得るのが難しい。つまりデフアスリートはそのスポーツを継続していくことが非常に厳しいのだ。池田さんは、高校生まで健常者の試合に出場し、たまにデフの試合にも参加してきた。大学2年次にデフリンピックに出場し、文部科学大臣表彰を受賞したが、競技を究める一方で、大学入学以前から持っていた、デフスポーツの認知度の低さへの疑問をさらに深めることとなった。この後、SFCでスポーツコミュニケーションなどを専門とする、東海林准教授の研究室にたどり着いた。
SFCでの研究と見えてきた課題
彼は、研究を行う中で、デフの幼少期の教育環境がその後の運動能力の低さ、そしてデフスポーツの認知度の低さにつながっていると結論づけた。言語習得に膨大な時間がかかる分、運動をする時間は健常児に比べて甚だしく短い。また聾学校では十分に専門的な指導は受けられない。そのような事情を洗い出す中で、デフの運動能力の低さだけでなく、デフスポーツを社会に発信する人も少ないことも分かった。
科学・医学の進歩がデフとスポーツをつなぐ
また研究の一環で、支援学校に赴くことがあった。現在の聴覚障害児童はこれまでの補聴器より性能の良い、人工内耳の導入が進んでいる。言語習得に費やす時間が短縮され、よりスポーツにかける時間を設けることが可能になりつつあるのだ。「科学と医学の進歩がデフスポーツの活性化に繋がり、デフアスリートが安心して競技を継続できる環境を整える必要がある」と語る。
デフアスリートの練習環境改善のために
卒業後の進路についても聞いた。就職先はとあるシンクタンク・コンサルティングファームの正社員として先輩社員と業務に携わりながらも、競技を継続する。直近の大きな目標は来年のブラジルで開催されるデフリンピックで優勝することだ。「小さなことが成し遂げられない人は大きなことも成し遂げられない」という、家族の言葉を胸に日々の練習に励む。
結果を出し、積極的に発信することで、社会に広く周知してもらう。そして少しでもデフアスリートの練習環境改善に貢献したい、そう考えている。「メダルを取ったのに注目されないのは悔しい」。仲間のデフアスリートがこぼした言葉だ。次の世代のデフたちにはそんな思いをさせないという強い意志を感じた。
(河野優梨花)