早稲田実(西東京)と駒大苫小牧(南北海道)の決勝再試合に全国が熱狂した2006年夏、九州ではある「普通の高校生」が、他の球児と同じように目を輝かせていた。
「甲子園にあれ以上のシナリオはないと思いましたね」
ところがわずか1年後、甲子園はそれまで誰も考えつかなかった新たな筋書きを生み出した。その中心にいたのは、佐賀県の県立高に通う「普通の高校生」だった。
副島浩史さんは11年前、夏の甲子園大会に佐賀北(佐賀)の3番打者・三塁手レギュラーとして出場していた。
「僕らにとって最大の目標は、甲子園で勝って佐賀北の校歌を歌うことだった」
佐賀北にとっては7年ぶり2度目の大会出場だったが、それまでに甲子園での勝ち星は一つもなかった。そしてこの年、佐賀北が引き当てた初戦は開幕試合。「負けたら一番最初に甲子園を去ることになる」という重圧と戦ったぶん、1回戦で福井商(福井)を破った時の喜びはひとしおだった。
監督(当時)の百﨑敏克さんには、「思わず知らず応援したくなるチームを目指せ」と常に言われていた。副島さんが出場した07年の89回大会は、「高校ビッグ3」と称された中田翔選手(現日本ハム)、佐藤由規選手(現ヤクルト)、唐川侑己選手(現ロッテ)らが注目を集める、「スター選手」揃いの大会だった。
佐賀北に「スター」はいない。ならば、田舎者らしくのびのびと野球をすればいい。それが「愛されるチーム」に繋がると信じていた。
2回戦で、宇治山田商(三重)と延長15回引き分け再試合を戦ったことをきっかけに、全国的に少しずつ注目されるようになった。競った展開では、甲子園が観客席全体で佐賀北を後押しする「うねりのようなもの」を感じた。印象深いのは、準々決勝の帝京(東東京)戦だと話す。
「帝京の選手たちは明らかに慌てていた。田舎の公立校に負けられないという思いはあったはず。僕らが心から野球を楽しんでいるのが怖かったんじゃないですかね」
延長サヨナラで帝京を下す大番狂わせを演じ、「がばい旋風」と呼ばれる追い風が吹き始めた。
佐賀勢として夏13年ぶりの決勝に進出。待ち構えていたのは横綱・広陵(広島)だった。
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