真っ暗な空に、光の筋が一直線に伸びる。頭上でパッと開き、数秒で消える。見物客から感嘆の声が漏れた直後、光の花が輝きを増して再び浮かび上がると、ひときわ大きな歓声が上がった。
一度打ち上がった花火が消え、再び光りながら開く「マジック牡丹」を初めて開発したのは、静岡県湖西市にある三遠煙火だ。日本三大花火大会の一つ、秋田県大仙市で行われる「大曲の花火」には毎年出品し、最優秀賞を受賞した年もある。
2代目の小口友義さん(68)は、「花火師は華やかな仕事に見えて、実際は地味。きつい、汚い、危険の『3K』がそろっている」と冗談めかす。全国に300社近くある「花火屋」の中で、花火玉の製造を続ける数少ない会社の一つだ。
打ち上げはコンピューター制御への移行が進んでいるが、花火玉作りは今もほとんどが職人の手仕事に委ねられている。工程は▽上空で飛び散る「星」と呼ばれる火薬を作る▽ボール紙で作った玉に星を込める▽玉の表面にクラフト紙を貼る——作業に分かれ、全ての技術を習得するのに10年はかかるという。
従業員間のコミュニケーションは少なく、仕上げの玉貼り作業が行われる建物ではラジオの音声だけが鳴り響く。しかし雨が降り出すと一転、大わらわ。屋外に干している玉が雨に濡れると使いものにならなくなるからだ。消費が集中する夏を除き、1年中が仕込み。玉が出番を迎えるまで、その管理には慎重を期す。
65年の歴史を持つ老舗中の老舗だが、「現状維持は後退と同じ。新しいものを作らないと世の中の波に遅れる」と危機感をあらわにする。近年では、テーマパークのショーやスポーツの試合、音楽フェスティバルなど、花火がイベントの一部に組み込まれることが多く、演出のトレンドも変化している。
「僕が若手の頃は、音楽がただ鳴っているところに花火を打ち上げていた。今は音楽と花火をシンクロさせる方が喜ばれるんです」
4月には、ハウステンボス(長崎県佐世保市)で行われた世界花火師競技会に初参加。「マジック牡丹」を考案した先代以上の好奇心で、活躍の場を広げる。
「お客さんの反応がここまでダイレクトに伝わる仕事は珍しい。歓声や拍手が聞こえると、汗も吹き飛びます」
職人の苦心の作は、一瞬で散っていく。その潔さが美しい。
(広瀬航太郎)