人は誰でも幸せになりたいと思う。しかしその幸せとは一体どこにあるのだろうか。
江國香織『ウエハースの椅子』の主人公の女性は、「恋人」と呼ばれる男性と深く愛し合っている。しかし、「それはほとんどゆるやかな自殺のようだ」と主人公は語る。「私は彼を愛している。彼はそれを知っている。私たちはそれ以上なにも望むことがない」。2人で愛し合っている瞬間、「あなたといると、何の過不足もない」と恋人にささやく主人公。しかし、何の過不足もない現在に、何かがすっぽりと抜け落ちているような感覚を覚えているのだ。
「恋人」にはすでに妻と子供がいる。その恋愛がいわゆる「不倫」であり、背徳感を覚えていることが、彼女の寂しさの原因なのだろうか。
彼女のもとには、しばしば「絶望」がやってくる。突然「やあ」と言ってやってくる。「そろそろいくよ」「じゃあまた。よくおやすみ」と言って帰っていく。まるで恋人と同じような穏やかさで。彼女は、恋人が「絶望」と同じだと気づく。もう恋人と別れたほうが良いのではないかと……。
主人公は、よみがえってくる幼い頃の記憶と向き合う。「ちびちびちゃん」と呼ばれていて、今は時々訪ねてくる妹のこと。もういない父と母の存在。子供の頃好きだったもの。
彼女は幼い頃、薄くてクリームの挟んだ「ウエハース」が好きだった。
「ウエハースの椅子は、私にとって幸福のイメージそのものだ。目の前にあるのに――そして、椅子のくせに――、決して腰をおろせない」
(下村文乃)
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日吉図書館・1F特設コーナーにて、「ウエハースの椅子」を展示中! 貸し出しもできます。