裁判員制度が、5月21日より始まった。
司法への国民参加は、戦前の大日本帝国憲法下でも試みられたことがある。それから半世紀以上が経過。日本は再び司法制度の抜本的改革を進めようとしている。そうした中での、裁判員制度の意義とは。そして日本の司法制度はどこへ向かうのか。慶應義塾大学教授の片山善博氏にお話を伺った。
この制度は国民にとっていかなる意味を持つのだろうか。片山氏は、「司法の民主化」が制度の目的であるという。立法、行政、司法の3権のうち、国民選挙によって議員を選び、その議員たちによって内閣が構成されるという点で、立法権と行政権には民意が反映されているといえる。
しかし司法権だけが、民意とはかけ離れており、「民主主義の不足」が指摘されている。日本国憲法下で国民主権が謳われていながら、一般人が法廷に口をはさむことはできず、専門家のみによって裁判は進められてきた。
そうした法廷の閉塞感を脱するべく生まれたのが裁判員制度である。重大な刑事裁判に関して、20歳以上の国民の中から無作為に選ばれた裁判員が裁判官とともに協議し、有罪・無罪の判断と量刑の決定を行う。
しかし、裁判員制度には施行前からさまざまな問題点が浮き彫りにされてきた。
たとえば一般の国民が量刑の決定といった専門的な作業を正しく行えるのかという問題。とりわけ死刑を選ぶ判断については裁判員の心理的負担は大きい。死刑廃止論者にとってはなおさらである。そうした問題に関して片山氏は、「自分の意見を持つ人ほど、積極的に加わってほしい」と話す。国民ひとりひとりが意見を法廷に持ち込むことによって、これからの裁判のあり方は変わっていくのだ。
国民の守秘義務に関しても論議を呼んでいる。「裁判の内容について身内にも話せないのは心理的負担が大きい」「憲法における表現の自由と矛盾している」など意見はさまざまである。裁判員に選ばれた場合、常識的なふるまいと、他人の人生を左右する上での責任感が求められる。
7月下旬頃から実際に裁判員裁判が行われることもあり、国民の関心は高い。マスコミでも大きく取り上げており、裁判員制度を扱ったドラマなども放送されている。そうした風潮の中、片山氏は政府や弁護士会のPR活動について問題点を指摘する。
「政府は国民に対して、本質的なメッセージを送っていない。『裁判は数日で終わります』『難しいことは求めません』といった国民の負担の小ささばかりを強調している。最も伝えなければならないことは、裁判員制度が司法に対する民主主義に注入であるということ。そしてその目的が、冤罪をなくすためであるということ」。制度を提唱する側は、国民と正面から向かい合うことで、理解をより深める必要があるといえる。
忘れてはならないのは、司法制度改革を今回の裁判員制度の導入で終わらせてはならないということだ。「改革のポイントは、司法を国民に近づけること」と片山氏も語る。現在の日本人の意識として、司法が縁遠い存在であることは否定できない。何かのトラブルに巻き込まれたとき、弁護士に相談するといったプロセスを踏む人の数は、諸外国と比べてもかなり低い状況だ。これは国民にとって大きな損失であり、司法の不経済といえる。
裁判員制度は、進行の状況を見て、3年後に改正する機会が与えられる。「より市民感覚に近い司法を実現するにはどうすればよいか」は、その時の最重要課題となるだろう。
20歳以上の国民から無作為に選ばれる裁判員。われわれ学生にも裁判所からの通知が送られてくる可能性がある。裁判員になったらどうすべきなのか。こうした意識をひとりひとりが持つことこそ、理想的な司法の実現を可能にするのではないだろうか。          (金武幸宏)