愛知県豊川市。この地名を聞いて何を思い浮かべるだろうか。おそらくほとんどの人はこの場所のことを何も知らないであろう。しかしここには豊川稲荷という日本でも有数の寺院が存在している。巷では日本三大稲荷の一つとしても数えられる。
豊川稲荷は正式には「宗教法人 豊川閣妙厳寺(みょうごんじ)」と称する曹洞宗の寺院である。本来稲荷ではないが、豊川吒枳尼真天(だきにてん)が稲穂を担ぎ、白狐に跨っている姿からいつしか豊川稲荷という名が広まったという。また、寺院が作られる際に鈴木平八郎という寺男が301の春属があるとして、釜一つで何百人もの参拝者をご接待し、そのあと突然姿を消したという逸話から平八郎稲荷とも称される。古くから多くの権力者にも信仰されており、今川義元、織田信長、豊臣秀吉、さらには徳川家康といった武将らも信仰していたという。
江戸時代に伊勢参りや講が流行り、多くの人々が神社や寺院に足を運んだ。もちろん、豊川稲荷にも全国各地から訪れたといい、年間約600万人もの人が押し寄せたこともあった。現在ではその勢いは衰えてしまったが、それでも正月三が日だけで約130万人は参拝しに来るという。
豊川稲荷は商売の神様と呼ばれており、全国から会社経営者が多く集まってくる。しかし、商売の神様というのは寺院側が広めたわけではなく、世間の噂で広まっただけだという。それでもある会社の2代目が、1代目の頃から豊川稲荷を参拝していた結果、大震災でも自分の会社だけ倒壊しなかったというから、商売の神様というのは本当なのだろう。もしビジネスを始めようとしている塾生がいるならば、ぜひ一度参拝してみるといい。よい結果を得られるかもしれない。
本院は愛知県豊川市に置かれているが、実は東京都赤坂にも東京別院が存在する。毎年節分の時期になると、多くの芸能人が豆まきを行うため、こちらの方は知っている方も多いのではないだろうか。この東京別院は江戸時代に大岡越前守忠相公が、日常的に信仰していた豊川稲荷の御分霊をお祀りして作られた。現在は港区元赤坂にあるが、元々は赤坂一ツ木の大岡邸に置かれており、1887年に今の場所へ移転した。
現在、若者に本院の霊狐塚というスポットが流行っているという。その名の通り、寺院内にある、個人で納めたお狐様の石像が集められた場所のことである。実際にそこへ足を運んでみたが、どこを見渡してもお狐様しかいない光景は圧巻である。この景色は全国的にも珍しいため、流行しているのではないだろうか。
初詣や御祈祷という文化が最近では衰退しつつあると感じる。しかし一度、豊川稲荷を訪れてみてほしい。きっとお狐様のパワーを感じるはずだ。
(今津優香)