昨年7月26日未明、神奈川県相模原市の障がい者福祉施設で19人が殺害される事件が発生した。この事件は、戦後まれに見る凶悪犯罪で、日本社会に大きな衝撃を与えた。容疑者は施設の元職員で、「障がい者がいなくなればいい」といった趣旨の供述をしているという。このような発言から、容疑者は障がい者を差別し、強い憎しみを抱いていたと推測される。

また、事件を報道した多くのメディアが、被害者の実名を報じなかった。このようなメディアの姿勢は、これまでの殺人事件とは大きく異なる点だ。神奈川県警は、「遺族が氏名を出したくないと望んでいる」ことから、被害者の実名を公表しなかったが、メディアも神奈川県警に従い、匿名報道を続けた。今回の被害者の匿名報道に関して、「障がい者差別だ」という議論もある。

戦後最大級の犠牲者を出した殺傷事件からまもなく1年。「事件の背景には何があったのだろうか」、「事件を未然に防ぐことはできなかったのだろうか」ということを考えるとき、ふと思い出すテレビドラマがある。1998年にTBSテレビで放送された『聖者の行進』だ。

あらすじを紹介する。知的障がい者である町田永遠(いしだ壱成)は、竹上製作所で働いている。竹上製作所の社長である竹上光輔(段田安則)は、知的障がい者を雇ったことで地元の名士とされている。しかしその目的は助成金を得ることで、永遠に不当な労働を強いるほか、水間妙子(雛形あきこ)への性的虐待や、他の従業員への暴力行為を日常的に行っていた。竹上製作所で働く知的障がい者にボランティアとして楽団指導を行っている葉川もも (酒井法子)はある日、工場での惨状を目の当たりにし、行動を起こすことにする。

『聖者の行進』の脚本を担当したのは、野島伸司氏である。野島氏の作品は、暴力、いじめ、差別など、現代社会の闇を描くものが多いことで知られている。『聖者の行進』は、1995年に実際に起きた「水戸事件」を題材にしたストーリーであるため、工場内での暴力や虐待などテーマは重く、そのような衝撃的な内容に視聴者から抗議の電話が殺到したという。

では、このようなテレビドラマにはどのような意味があったのだろうか。それは、『聖者の行進』が障がい者差別や偏見に関する社会問題を19年前から指摘していることにある。実際、テレビドラマでは、竹上光輔を断罪する裁判を起こそうとしている葉川ももが、知的障がい者の家族に協力を要請しようとしたところ、家族から「知的障がいのある我が子を雇ってくれている社長にはすごく感謝している」と断られる場面がある。昨年の相模原障がい者施設殺傷事件において、被害者遺族が実名報道を拒んだ理由は、障がい者やその家族が、『聖者の行進』の中で描かれていたような「生きづらさ」を抱えていたからではないだろうか。

『聖者の行進』は必ずしも我々に感動を与えてくれるテレビドラマであるとは言えない。『聖者の行進』が示すのは、障がい者に対するまなざしの厳しさだ。一方で、今まで他人事だった障がい者の生きる世界を、このドラマを通して身近に感じることもできる。「障がいがあることは不幸なことではない」。このような意識が高まれば、障がい者差別や偏見といった社会問題が少しでも解消されるのではないだろうか。  
(鵜戸真菜子)