野菜を売ることだけが、八百屋の仕事ではない。八百屋「瑞花(すいか)」は、神楽坂の下町らしい生活感が残る一角に立つ。店内では、スタッフが青果の「ソムリエ」となり、食材に合う調理方法などのアドバイスを提供する。同時に、季節や気候など一定の条件下で客がどのような商品を欲しているか、八百屋も情報を得る。
「人に情報を持たせて、情報を持って帰ってきてもらう。人と情報が行き交うのが食の業界なんです」
「瑞花」を運営する株式会社オアゾ代表で、食のブランディングに携わる松田龍太郎さんは、10年前までNHKの報道カメラマンとして全国を駆け巡っていた。紀行番組などを撮影し、取材する先々でその土地固有の食文化に触れた。
煮る、焼く、揚げる、蒸す、漬ける。時には生ものとして、加工せずに提供する。和食には、多彩な調理方法と食材の、無数の組み合わせがある。その組み合わせの違いが、郷土の味を生み出す。
「食べる」ことが、その街のことを「知る」ための一番の近道だと松田さんは言う。「だから地域にどういう食を残すかはとても重要。ただ、郷土食を伝承していくには、今の20代に響くようにその情報をアップデートしないといけない」
情報はそれを持たない人々のもとへ持ち出して初めて価値が生まれる。例えば、東京に土佐料理の店が出店したとする。「東京で高知の味が楽しめる」と注目を集めるかもしれない。土佐料理を発信するメディアがなくても、たちまち店自体がメディアとなって郷土食を発信するようになる。「場所がメディアになる」。NHKを退職して出会った、企画プロデュース業の先駆者・小山薫堂さんの教えだ。
「これまで、日本の料理人は海外修行を通して、積極的に『情報』を持ち帰ってきた。それが今、『メディア』が乱立して特に都心部で情報過多になっている」
東京は、ミシュランガイドで星を獲得したレストランの数が3年連続で世界1位と、食が成り立つ土壌は整っている。しかし現実には、新しい店舗が開いては消える、「スクラップ・アンド・ビルド」の繰り返しだ。
日本では「商店街」という言葉があるように、消費の激しさに合わせて店が次々に建ち、売り上げを競ってきた。ただ、「これは流行る」と企画が先走りして店を出しても、食を伝承することはできないと松田さんは指摘する。
「国内の飲食業者で商売を奪い合うのは日本らしくない。日本の端から海外の端まで、和食を繋いでいく人が必要」
松田さんは、母校である慶大SFCの研究会と共同で、食にまつわる大胆な試みを仕掛けたことがある。それが「アフリカ・コンゴに日本食を伝える」というプロジェクトだ。現地のワークショップで学生たちが作ったのは、カレーライスだった。すると、その味に感銘を受けたホテルの総料理長が、日本のカレーをグランドメニューに載せることを決めたという。
日本人にとってはただの「合宿のカレー」が、アフリカでは「一流ホテルのコースメニュー」に変わる。思いがけないかたちで和食の価値が見出されることがある。海外からの情報を受け入れることで、食文化を向上させてきた日本の食卓。今度は、日本人が海を越えて和食のメディアを立ち上げる番だ。
(広瀬航太郎)