歪んでいた。アスファルトの道路がうねり、ひずみ、家々は傾き、神社の社はひしゃげたまま。一年前、日常が歪み、突如現れた非日常は、もう長らくその地に居着いていた。益城町は、熊本地震で最も甚大な被害を受けた地域だ。

熊本市街から約1時間ほどバスに乗れば、益城町に着く。すこし歩いてみると、すぐに町並みに違和感を覚えた。まず、空き地が多く、人気がない。震災で損壊し取り壊されたが、かつては住宅が密集していたであろう場所だ。残っている家々にも、損壊の危険性を示す赤色や黄色の紙があちらこちらに貼られていた。そんな街並みを目にして、覚悟を改めながら、我々は町役場へと足を進めた。

役場の方に復興の現状を尋ねると、半壊及び全壊した建物のうち、3分の2は取り壊しが完了しているという。かつての住居を失った人々は皆、仮設住宅や見なし仮設住宅へ移転している。

町を一通り見て周り、バスを待っていると、一人の男性が話しかけてきた。熊本市内で被災したというその男性によれば、震災直後に一番困ったことは、断水状態が続く中での生活だった。トイレや洗濯、入浴がままならない日々が続き、何よりも水が欲しかったという。現在は水にも食糧にも不自由のない生活を取り戻している。

基本的なライフラインの回復に限らず、町役場や住民の方々が力を出し合い、復興計画は前進している。しかし、町を実際に歩く中で、復興とは何を指すのかを考えさせられた。どれだけ時間が経ち、ライフラインが整えられても、元通りの日常の風景は戻ってこない。途中、町を流れる小川を見た。暖かくなると、子供たちが川遊びをするというこの川は、かつての穏やかな益城町の日常を象徴しているようにも思われた。

今でも町のあちらこちらに、震災の爪痕が深く残る。歪んだ道路すべてを修復するにはまだまだ時間がかかる。耐震が不十分な古い家々は損壊し、人々が馴れ親しんだ町並みは元通りにはならない。そして、町を離れた住民たちももう戻らないかもしれない。遠く離れた東京に住む我々は、ニュースを見るだけではなかなかそのことに気付かない。被災地に住む人々の悲しみや寂しく思う気持ちに目を向けずには、地元の人々に真に寄り添い、「震災」を理解することは出来ないと感じた。
(石田有紀)