慶大で看護教育が始まってから、来年で100年を迎える。節目の年を前に、慶應看護の歴史、今後行われる記念事業、そして次の100年に向けての展望について看護医療学部長の小松浩子教授と記念事業に参加している看護医療学部大学院健康マネジメント研究科の小池智子准教授に話を聞いた。
慶應看護の歴史
慶應看護の始まりは1918年まで遡る。開設当初は「医学科付属看護婦養成所」という名称であり、1920年に開院する慶應義塾大学病院で働く優れた人材の育成が主な目的であった。
開設以来、戦時中の厳しい時期を乗り越え、法律改正による改称やカリキュラムの改正、4年制看護教育の必要性の高まりによる2001年の学部開設など、時代の流れに沿って教育形態は変化してきたものの、この100年間で1度も絶えることなく看護教育が行われてきた。
三つの記念事業
来年の100周年に向けて、三つの記念事業が行われる。一つ目は「歴史編纂」である。「歴史の中に未来を見よう」というテーマのもと、慶應看護100年の歴史をまとめる事業であるが、「ただ100年の歴史をまとめるだけではなく、これから先を考える事業である」と小池准教授は話す。
二つ目は、「募金活動」である。現在、看護医療学部には「看護ベストプラクティス研究開発・ラボ」という研究組織がある。この組織は患者に対する新しいケアモデルの構築や、臨床現場で先端医療を普及させることができる人材を育成することなどを目的に研究を行っている。今後、この研究組織を発展させ、センター化することで、さらなる研究を推し進めることを目標としており、そのための募金活動が記念事業として行われる。
三つ目は、「講演会」である。過去、現在、未来を考える機会として、教員の他に同窓会である「紅梅会」の協力の下、リレー形式で行われる予定で、先月、第1回が行われた。
古から見る慶應看護
先月21日、三田キャンパス東館ホールで慶應看護100年記念講演「慶應看護の古を辿る」が行われた。100年記念事業の一環として催される講演会の第一回目である今回は、歴史的視点から慶應看護について考察された。
登壇した慶應義塾福澤研究センターの西澤直子教授は、福澤諭吉が説いた女性論について述べた。当時には珍しく、日本の男尊女卑の考え方を否定的に捉えた福澤だからこそ、女性も男性と同等に経済的な自立を図ることを考え実践していたという。『学問のすゝめ』の中でも男女の平等と個人の独立を主張した福澤。幼くして父を失い、母、姉に囲まれて育った環境もあり、貝原益軒の『女大学』を批判し、女性の地位向上を目指した。福澤は西洋事情探索の経験も生かしながら男性論の視点も含んだ先進的な女性論を展開したと、西澤氏は講演を締めくくった。
続いて、千葉県立衛生短期大学名誉教授であり、慶應義塾福澤研究センター客員所員も務める白井堯子氏が登壇した。福澤と同時代人であるナイチンゲールとJ・S・ミルの三人に共通する考え方に言及した。J・S・ミルと共に女性の地位向上と経済的自立のために尽力したナイチンゲールの自伝的小説『カサンドラ』。この小説に影響を受けたJ・S・ミルが書いた『女性解放論』は、福澤も愛読したものである。三人は当時の女性の在り方に疑問を抱き、同じような女性論を同時代に共有していたと白井氏は言う。そして、慶應看護にはナイチンゲールのように、思想が時空を超えて世界を結びつけ、新しいものを生み出すような気概を継承して欲しいと結んだ。
来年で100年目を迎える慶應看護。古を知ることで未来の医療と看護の在り方を見据えることのできる講演会であった。
次の100年へ
次の100年に向けての展望について、小松学部長は三つの観点から人材教育を行う考えである。一つ目はグローバル人材の育成である。現在、感染症はもちろん、生活習慣病も世界共通の問題となっており、各地域が協力し、解決しなければならない状態になっている。そのため、様々な地域の人々と解決法を探るコミュニケーション能力を有する人材を育成していく必要性があるのだ。
二つ目は、チームで成果を上げる医療人の育成である。現在、世界的にチーム医療が推進されている。慶大でも医学部・看護医療学部・薬学部の三学部合同のプログラムがすでに存在するが、今後さらに発展させる予定である。
三つ目は先端医療を研究開発・実践する看護師の育成である。慶大医学部、また慶應義塾大学病院では、最先端の医療研究開発、また治療が行われているため、それに対応できる看護師の育成が必要不可欠なのだ。
100年という節目の年を迎える慶應看護。過去、現在を振り返り、未来へとつなげる。これからの100年にとって大切な機会となるだろう。
(藤咲智也・井上晴賀)