私たちは、日々ことばに囲まれて生きている。文字、話し方、使い慣れたものと違う言語、使い慣れていない人に伝える言語。特集では、この「ことば」の多様な側面を見ることができたのではないだろうか。

慶應塾生新聞も、当然ながら言葉の関わる世界の中に含まれている。今あなたが読んでいるこの新聞も、言葉を使って書かれているのだ。新聞をつくる私たちは、言葉を用いて情報を届ける立場にある。

新聞に載っているのは、紙に印刷された言葉だ。ここには音声は含まれない。ときに重要な要素となる、声色や抑揚、身ぶりを伝えることができないのだ。

「紙」の中でどんなことができるのか。この紙面では、視覚的に訴えられる手段を使い尽くしている。たとえば、見出しは記事の内容を効果的に表す役割を果たす。真っ先に読者の視線が向けられるという点で、軽視できないものである。短い言葉で端的に内容を伝え、目を引くことのできる言葉を探り当てるべく、記者は毎号頭を悩ませ、改良を重ねている。

見出しをよく見ると、フォントにもこだわっていることがわかるだろう。編集者が、その記事に合ったフォントを選び抜いている。これも、あとに続く記事の雰囲気を伝える一助となる。

記事に添えられる写真や表もまた一つの手段だ。特に報道記事では、一枚の写真がその様子をありありと伝えるものとなっている。

記事の中の言葉はどうだろうか。構成は明快か、わかりにくい語が使われていないか、段落分けは適切か、意味の取りにくい文章になっていないか、誤読を生む字の並びはないか。記者や校閲を行う編集長たちは、読点一つにまで気を配る。

言葉の使い方以前に、情報を伝える媒体として、事実と異なることを書いた記事を発信することは何としても避けなければならない。その点には細心の注意を払い、複数の人の目で最後の段階まで確認を重ねている。

この世界は、言葉にあふれている。それらは過剰なまでに、情報を私たちに与え続ける。その中で慶應塾生新聞は、言葉をもって発信を続けていく。今、塾生である私たちだからこそ見えることがあるはずだ。それを記事に書き、新聞の形にして伝えていきたい。

近年は、ホームページ上でも記事を公開し、キャンパスなどで直接紙面を手に取れない人にも、私たちの言葉を伝えることが可能になった。読者が増えることで、よりいっそう責任が増し、気も引き締まる。

慶應塾生新聞会はこれまで一号も絶やすことなく新聞を発行し、すでに5‌0‌0号を越える。「塾生新聞」として発するべきことを言葉にして、今月もまた、新聞を届ける。
(青木理佳)


【特集】今、見つめる「ことば」