四国四県に散らばる88箇寺、距離にして約1200キロメートルを、ひたすらに歩いて巡る。四国遍路は、日本で最も有名な巡礼の一つだ。その特徴として興味深いのは、信仰を目的としない人々にも親しまれ、愛される点である。過酷なはずの四国遍路が人々を惹きつける魅力はどこにあるのか。遍路に詳しい埼玉県立大学准教授、浅川泰宏氏に話を聞いた。
四国遍路の歴史は長い。その原型は平安時代末期まで遡り、江戸時代になると僧侶に限らず多くの人に遍路は親しまれていたようだ。その目的も、信仰のため、観光のため、文学や絵画のためなど、実に多様だった。
昭和20年代以降は、バスツアーが登場したことで歩き遍路が著しく減少していた。だが本州から四国へアクセスしやすくなったこと、巡礼路が整備されたことなどにより、近年、歩き遍路の価値が再認識されている。
遍路の文化は時代とともに変化しながらも、脈々と受け継がれてきた。その目的が人によって様々である点は変わらず、各々が各々の思いを抱えて、四国遍路に赴くのである。
今も昔も変わらないのは、88箇寺を回りきったときの達成感だ。交通網が発達し、道も歩きやすく整備された部分はあり、その意味では手間や過酷さは軽減された。だが、人の心を満たす遍路の魅力は根本では変わらない。
まず、わかりやすいのは「ご朱印」の文化である。巡礼者たちはご朱印帳を持ち歩き、それぞれの寺にたどり着くたびに印を押す。88箇寺巡り終わり、すべて揃ったご朱印帳を見ると、視覚的にも達成感を感じることができる。
また、巡礼路と海の見え方との関係が、巡礼者の達成感に寄与していると浅川氏は指摘する。難所と言われる山越えを経験し、最後の寺まで海が見えない徳島は、「発心の道場」。打って変わって、ひたすら荒々しい海に沿って歩き続ける高知は、「修行の道場」。島々が浮かぶ穏やかな海に面した愛媛は、「菩薩の道場」。そして四県の最後、香川は、「涅槃の道場」。このように、仏道修行の4段階になぞらえて、巡礼路をストーリー化できるのだ。風景とともに巡礼者の心情も移り変わり、ちょうど悟りを開く過程を体感しているような感覚になるのである。
さらに、四国遍路の大きな特徴でもあるのが「お接待」の文化だ。地元の人々は、巡礼者を労わり、無償でもてなす文化を受け継いでいる。巡礼者は、苦しい中で他人が与えてくれる無償のあたたかさに触れる。そしてお接待をする側も相手を喜ばせることの喜びを知る。人と人とのあたたかい交流が、ここにはある。
近年では、大学生の巡礼者も多い。時間がある学生のうちにぜひ挑戦してみてほしい。ただ、気をつけてほしいこともある。
一つは、リスクへの意識だ。遍路はケガと常に隣り合わせであり、また、盗難に遭うことや犯罪に巻き込まれることもある。巡礼者の安全はすべて自己責任である。
もう一つは、場の雰囲気への配慮だ。遍路はあくまで仏教修行の場であり、当然それを目的にしている人もいる。巡礼者の一人としてマナーを守り、場の雰囲気に溶け込むことを楽しんでほしい。それも、四国遍路の醍醐味の一つなのである。
(石田有紀)