何度も何度も繰り返し上演されてきた落語の演目。しかし、聴衆は今なお、その見事な語り口に腹を抱えて笑ってしまう。それは一体なぜなのか。落語の魅力について慶大が生んだ初の落語家、立川談慶氏に話を聞いた。
遠回りも芸の深さに
落語は「誰かを傷つける笑いじゃない。誰にでも優しい笑いだ」。人のコンプレックスや欠点を笑ったりはしない。
ある時、談慶氏は知り合いの終末医療に従事する看護師に、「最期に落語が見たいと言っている癌患者の方のために来てほしい」と頼まれ、病室のこたつの上で落語を披露した。喜んでくれた姿に、「こっちが元気をもらった」と振り返る。その方が亡くなった後、娘さんから「あの30分間は、父は自分が癌であることを忘れていました。明日死ぬかもしれないという恐怖を忘れていました。落語ってすごいですね」というメールをもらい、人を笑わせる仕事をしていてよかったと心底感じた。「面白いから笑うんじゃない。逆なんだ。笑うから面白くなる」と談慶氏は語る。「笑う」という行為で免疫力が高まるともいうが、落語にもこうして人を救う力があるのだと思ったという。
立川談志氏率いる立川流は群を抜いて厳しい指導で有名だ。談慶氏も、談志氏の下で9年半前座を経験し、落語家として生きていくための全てを教わった。「俺の弟子でよかったと思う瞬間が絶対後からくるからな」。談志氏はよくそう言っていたという。当時は反感さえ覚えたが「これだけ厳しくしておけば、どこに行っても動じない対応力がつく」、そう計算しつくされた厳しさだった。「あの人は嘘をつかない。『俺についてこい』そう言える大人に出会えて幸せだった」と偉大な師匠の姿を想い、目を細める。
理不尽なことも多くあったが、談志氏と向き合った9年半という時間は全てが財産だった。談慶氏は自分の人生の教訓を言葉にし、本につづっている。「自分なんてかなわないような人はたくさんいる。その人たちとは違う、自分のフィールドを見つけなくてはいけない。それに早くから気付ける人は天才で、自分は50歳になってやっとわかった」。大学を出て、会社に勤め、通常3年程度と言われる前座を9年半もやったこと。「それが自分の色だ」とそこから得た経験を本にした結果、出版不景気のご時世の中、オファーが次から次へと舞い込む。
「一日一生」
「遠回りをした分だけ芸が深いものになっている」。9年半の前座生活から晴れて二つ目に昇進した時、談志氏から貰った言葉だった。談慶氏は自身の経験から「人生において無駄なことなんて何もない。何が失敗か成功か、その時には分からない。だから、瞬間瞬間で良い悪いを決めるな」と話す。朝生まれ、夜死ぬ〝一日一生〟の精神を大切に後悔のないよう全力で生きる。それが学生たちへのメッセージだという。
「江戸時代から300年もの間、日本人を笑わせてきた落語は巨大な地下資源だ」。談慶氏は落語の魅力はそこにあると語った。経済成長、人口増加共にゼロであった江戸はいま日本が向かおうとしている社会とリンクする。新しい技術を吸収する前に、過去に立ち返り、江戸を再認識すること。それが今の日本の急務なのだという。落語はそれを実現させるうえで大きな力を秘めている。
(山本理恵子)
【特集】笑顔のつくり手たち