第25回慶應義塾大学理工学部市民講座「ヒトに近づくロボット技術 ~ロボットの心・体・文化~」が、先月4日に開催された。慶大理工学部の森田寿郎准教授、今井倫太教授、萩原眞一教授の3氏が、昨今のロボット工学に着目し、ヒトに近づくロボット技術が今後私たちの生活にどう影響するかを語った。
「ヒト型」の難しさ
第一部は森田准教授による「ヒューマノイドの身体メカニズム ―形状・構造・機能のデザイン―」だ。ロボットの設計は「形状」「構造」「機能」の3つが核になるが、ヒト型ロボットはどれをとっても簡単ではない。
第一に、単機能のロボットと違い「多機能性」が期待され、そこに「ヒト型である」という条件が加わるので造りが複雑になる。第二に「人間らしさ」をどう生み出すかも難しい。動作が少しでもぎこちないと不気味に感じてしまうのだ。
解決策の一例として、森田准教授がヒトの腕をヒントに考案した「自重補償機構」がある。これにより重力の負荷が軽減され、なめらかな動きの再現に成功している。
AIとの自然な対話
第二部は今井教授による「人工知能における今性の問題」である。コミュニケーションで重要なのは言葉やジェスチャーだけではない。人間は相手が実時間で反応して初めて、相手の言葉や仕草、感情に注目する。これが「今性」であり、AIと人間が円滑に交流するために欠かせない要素だ。
今性のあるインタラクション、すなわち間合いや空気を読むこと、関係性を構築することなどの「相互作用」を生み出すことが重要となる。そのためには人間科学や社会科学、情報工学などの分野をまとめることが求められる。現状は各分野が独立しており、国レベルで旗を立て横断的に取り組むべきだという。
文化の中のロボット
第三部は萩原教授による「ロボット前史 ―人間・機械論をめぐって―」だ。人は人間そっくりのロボットに不気味な感情を抱く。この理由として萩原教授は、キリスト教圏における人間が自分の姿に似せてロボットを作ることをタブー視する傾向と、生命あるものと生命のないものとが変換可能な関係にあるのではないかという疑いを挙げた。
また、人間を一つの機械システムとして捉える「人間・機械論」にも言及した。この発想は哲学の分野に留まらず、近現代の絵画や文学にも表れている。機械の利用で身体欠損の補完や能力拡張が可能になるが、それは人間とロボットの境界の希薄化を意味している。
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メカニズムやコミュニケーション、宗教や歴史などの観点から「ロボット」を考察する講座であった。3氏は共通して、ヒト型ロボットやAIを分析する際、常に人間のアイデンティティを重要視していた。