極彩色のイルミネーションに彩られた街。12月。世にクリスマスムード漂う季節である。カップル達は浮き足立ち、お互いに愛を囁きあう。
一つの愛を獲得するために、盲目的に突き進んだ男がいる。名はジェイ・ギャツビー。今月紹介するのはスコット・フィッツジェラルドの傑作にして20世米文学の代表作としても挙げられる『グレート・ギャツビー』である。
故郷である西部を去り、東部への憧れを抱きニューヨーク郊外へやってきたニック。彼の家の隣に聳える豪華絢爛たる屋敷に住むジェイ・ギャツビーには真偽不明の穏やかではない噂話がまとわり付いていた。ギャツビーとの親交を続けるにつれ、ニックは次第に彼の正体と目的に近づく。彼の目的は、失ったかつての恋人を取り戻し、過去からもう一度やり直すこと。その狂気にも似た情熱が引き起こす、一夏の悲劇。
ギャツビーは過去に囚われている。彼が愛した美しき令嬢デイジーを取り戻すことは、それは失われた、本来ならば実現するはずだった未来の創造を意味する。莫大な資金と歳月を賭けて、彼は己の情熱に忠実に生きた。自らの素性すら偽って。
ギャツビーを見つめるニックは彼を冷静に観察する。だが、何かが琴線に触れるのを禁じえない。「誰も彼も、かすみたいなやつらだ」、「みんな合わせても、君一人の値打ちもないね」とニックは最後にギャツビーに言う。
ニックにとってギャツビーは「『こんなものは絶対に我慢ならない』と考えるすべてを、そのまま具現したような存在」であったにも関わらず。
この小説の魅力はまさしくその登場人物にある。ニックの繊細な感性、ギャツビーの紳士的な狂気もそうだが、デイジーを忘れてはいけない。
かつて愛したギャツビーと再会し、再び彼を愛する彼女。夫であるトムとの決別をギャツビーに約束までする。しかし、結局彼女はギャツビーの情熱に圧倒され、トムを選ぶ。自由奔放に享楽に身を浸していた彼女は、ギャツビーの未来の再構築への情熱に耐えることが出来なかったのだ。それは理解できるし、或は同情に値するだろう。
しかし、その後の彼女の振る舞いは、ニックの言葉を借りれば、「思慮を欠いている」し、「味気ない」。ギャツビーの悲劇のトリガーでありながら、それが引かれた混乱を残し彼女は消える。むっとする硝煙の匂いだけを残して。
東部という煌びやかな場に翻弄される若者たち。その光と影はそのままフィッツジェラルドの生涯にも符合する。
フィッツジェラルドは1940年12月21日に心臓麻痺で亡くなった。半世紀以上の時を経てもなお、私たちにとって色褪せない名作を書いた彼はやはり偉大である。
(古谷孝徳)