5年前の東日本大震災から今まで、被災地でのボランティアを繰り返し行ってきた慶大生がいる。この春社会人になる折本隼太さん(政4)は、高校卒業から通算30回ほど東北を訪れ現地の様子を見てきた。被災地の今と今後大学生が出来ることを聞いた。
「震災当時、私は海外の高校に通っていました。ニュースや動画サイトで被災地の映像を見て事の重大さは理解していたけれど、被災していない自分はその被害に共感出来ませんでした。日本人として震災と向き合うため、高校を卒業したら東北に行こうと決めました」
2011年の夏に宮城県塩釜市を訪れるまでボランティア活動は1回きりのつもりだったという。しかし、一度被災地やそこに暮らす人々と関わってみると、今後の復興の様子を見ていきたいと思うようになった。そのような経験から2回目以降のボランティアでは主に宮城県南三陸町を訪れ、被災地の変化を追ってきた。
ここ5年間で、被災地の様子は3段階の変化を遂げているという。2011年当時はがれきが多く残され、建物の上には津波で流された車が取り残されているなど、震災の爪痕が多く残っていた。その衝撃を折本さんは「テレビで見る海外の戦場のようだった」と振り返る。一度全てを更地に戻し(写真1)、盛り土をして全体を高台にすることで(写真2)、二度と津波を被らないように工事をする。現在も盛り土の作業は継続中で、高台が完成してやっと町作りが始められるそうだ。
5年たった今だからこそ出来る支援がある。震災直後はがれき撤去やヘドロを搔きだす作業など肉体労働が中心だったが、現在はようやく産業復興の支援が主になっているという。具体的には北海道等の漁師から寄付された網を東北の地形にあわせて仕立て直す作業や、農作業の手伝いなどがある。また、外部の人間が加わることで仮設住宅のコミュニティー形成を円滑にする支援にも携わっている。
真摯に向き合うならボランティアへ気軽に行ってよく、今からでも自分のペースで始められると考えている。折本さん自身も1泊だけ訪れたことがあり、就職後も時間を見つけて数日でも携わりたいそうだ。
他にも、やる気があってもひとりでボランティアに行くのはハードルが高かったという経験から、慶大にuniぼらんてというボランティアサークルをたちあげ、集団でのボランティアも行った。現在は30人ほどが所属し、それぞれのペースでボランティアに参加している。
「震災ボランティア人口は激減していますが、震災直後とは別の支援がまだ必要とされています。現在は被災者と関わる支援が多いため、仲良くなることで貴重な経験を出来ることもあるんですよ。私も漁船に乗せてもらったことがあります。ボランティアは様々な意味で自分にとってもいい体験になると思いますね」
(小宮山裕子)