こんなに泣かされた恋愛小説がかつてあっただろうか。七月隆文『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(宝島社文庫)は、「好き」という気持ちがどれだけ大切で、はかないものかを教えてくれる恋愛小説だ。
京都を舞台に、一組の男女の純粋で不器用な恋愛が進行する。物語の前半には二人の初々しい恋愛模様が描かれる。芸術大学に通う南山高寿は電車の中で、福寿愛美に一目ぼれをする。意を決して彼女に声をかけ、交際までこぎつける。
しかし、高寿には恋愛経験がほとんどない。彼女に電話をする前には話すことを一字一句メモしておき、待ち合わせの2時間前には集合場所に行ってデートの下見をする。実際にデートコースを歩き、彼女に似合いそうなお店や彼女が好きそうな食べ物をリサーチするのだ。不器用だからこそ、高寿は彼女に良いところを見せようとしているのかもしれない。彼女を大切に思う気持ちが伝わる素敵な場面だ。
物語の後半の展開には胸が締め付けられる。高寿が想像もできないような彼女の「秘密」が明らかになる。しかし、その秘密を共有したことで二人の絆はさらに深まり、強くなった。単なる恋愛模様ではない、ファンタジックな展開が読者をより物語に引き込んでいく。
物語の中に印象的なシーンがある。一人暮らしを始めた高寿は愛美と新居の近くを散歩する。そのときに愛美が発見したカフェのスイーツが絶品だった。高寿は思うのだ。「昨日ここを通ったとき、ぼくはあの看板に気づいていなかった。もし気づいたとしても、ぼく一人では入らなかっただろう。彼女がみつけて、彼女がいるから入った」。恋愛は一人では成り立たない。二人いて初めて成立するものだ。そして、二人だからこそ気づくことができることがこの世の中にはたくさんある。高寿と愛美はお互いに引かれ合い、相手の世界を知ろうと努力した。この姿勢は、恋愛関係に限らず、社会で生きていくうえで必要なものだと思う。自分の知らない世界は、共に現代を生きている他者が教えてくれる。
大学生の今、不器用で鈍感なやり方になってしまうかもしれないが、しっかり他者と向き合い、知らない世界を知ろうとする探求心を持つことを大切にしたい。
(鵜戸真菜子)