障がい者スポーツの広報に励む一方、選手としても現役で活躍する高桑さん。
障がい者スポーツの広報に励む一方、選手としても現役で活躍する高桑さん。
今春まで慶大体育会競走部に所属し、現在は競技を続けながらもエイベックスにて、障がい者スポーツの広報活動をしている。骨肉腫のため中学1年生で左足の膝下を切断して以来義足と共に歩んできたパラリンピアン高桑早生さんに、障がい者スポーツについてお話を伺った。






陸上を始めたのは高校の時だ。部活で健常者と同じ練習をしていた。義足でも日々のメニューをこなせるのは事実だが、自分にとって効果的な練習になっているのか疑問だった。高校2年生で出場した、全国障がい者スポーツ大会で初めてこの思いに共感してくれる人と出会う。

共に走った仲間

当時は学生であり、陸上の指導経験もない、当大会にボランティアとして参加していた高野コーチだ。専門的な知識がないなか、二人で義足を生かす練習を模索しつつ部活と並行したトレーニングを始めた。

慶大在学時も、健常者と共に体育会でトレーニングを行った。体育会で障がいを持った選手は前例がない。そのような中で温かく迎え入れてくれた塾生の心の広さを感じたという。

遠慮よりも関心を

そもそも五体満足に生きている人は、障がい者をとりまく環境がわからない。「だからこそ障がいについて、健常者はもっと気軽に聞いていい。初めて会った人に趣味を聞くのと、障がいについて尋ねるのは、相手に興味を持つという意味では同じこと。私のように表に出てスポーツをしている人ならば、積極的に答えるはず」と語る。同じ足の障がいであっても重度は人それぞれだ。例えば高桑さん自身も、車いす利用者の大変さはわからない。

メディアでは取り上げ方の難しさからか、同じ金メダルを取ったとしても、注目度が健常者スポーツと比べると低いように感じる。障がいについての言葉選びなど向き合い方は意見が割れがちだが、皆が純粋に観戦を楽しめるようにすることは、今後の課題だという。

2020年の東京パラリンピックに向けた目標にも、障がい者スポーツの認知度向上を掲げている。PR活動を続けていくことはもちろん、一選手として戦績を残していかなくてはならないという。

これからが恩返し

来年出場するリオデジャネイロパラリンピックでは、5年後に繋がる結果を残すことが目標だ。最終的には高桑早生を見に行きたいと思われる選手になることが、パラリンピック自体の注目度をあげてくれると信じている。

「私は、障がい者を体育会に迎え入れてくれた、好奇心と広い心を持つ慶應に感謝しています。そのおかげで塾員として頑張れている今があると思います。今度は私の活動が、慶應に新たな風を吹かせる番。塾生には様々な違いを受け入れる広い心を持ってほしいし、この機会に障がい者スポーツに興味を持って、ぜひ一度試合を見に来てほしいとも思います」。目標を持って走り続ける高桑さんの存在は、頑張る塾生ひとりひとりの背中を押してくれるだろう。
(小宮山裕子)