中東地域で勢力を拡げるISIL(「イスラム国」)のテロリズムは、北アフリカ各地でも凶悪な事件を起こし、国際社会全体の脅威になっている。今年2月には、「イスラム国」に捕われていた2人の日本人が殺害された。命を奪われた湯川さんと後藤さんは、戦場と知りつつ「イスラム国」の支配地域へ分け入っていった。
自らの命を危険にさらしてまで、ジャーナリストが戦場に赴く意味とは何なのだろうか。
弊紙は、多様な視点からの意見を紹介するべく今回2人のジャーナリストに話を伺った。国際テロがもはやどの国家にとっても他人事ではない今、メディアのあるべき姿を見直してみたい。
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失われた報道の機会
手嶋氏は今回の事件を考えるには、2011年の福島第一原発の事故を巡るメディアの報道の姿勢と比較してみればいいと、次のように指摘した。
大きな事件が起きればジャーナリストは真っ先に現場に入って事態を刻々伝えるのが責務である。だがフクシマ原発では、日本のメディアは現場に肉薄できなかった。原発事故では放射線量が異常に高く、取材陣の生命に危険が及ぶからだ。
その結果、すべてのメディアは、当局が引いた規制線の外側に中継カメラを据えて、現場に迫ろうとしなかった。そのため、事故直後は、東京電力が提供する情報に依拠するほか術がなかったのである。
原発の映像に関していえば、事故発生から1年もの間、メディアのカメラは現場に近づこうとさえしなかった。21世紀という時代は、ハイビジョン映像で記録されてきたが、フクシマは空白のまま記録されなかった。
果たされなかった責務
「ジャーナリストは、被爆の危険を冒し、蛮勇をふるって制限区域に踏み入るべきだった―。私は必ずしもそう主張しているのではない。危険が想定されるなら、無人ヘリを使ってでも原発に迫るべきだった。方法はいくらもあったのだが、真摯な努力はなされなかった。そう指摘したのだが、メディアからは反論を受けたことがない。対象に迫って事態の実相を伝えるジャーナリストの責務は果たされなかったのである」。
なぜ、戦場に向かうのか
ジャーナリストの後藤健二さんは、自らの命を危険にさらして現地に入り、知人の湯川遥菜さんを助けたいと考えたのだろう。後藤さんは「戦場ジャーナリスト」と呼ばれることを嫌ったという。命と引き換えにフリーランス・ジャーナリストが戦場に入り、大手メディアがその映像をカネで買う実態を知り抜いていたからだろう。
「私も、NHKの特派員として戦場に赴いた。1991年の湾岸戦争では前線で取材し、2003年のイラク戦争ではNHKワシントン支局から戦後初めて従軍記者を送り出した。カネでフリーの記者を雇って、彼らの映像を買うことをよしとしなかったからだ」。
安全と使命の間で
「現場に留まって真実を伝えるのはジャーナリストの使命に他ならない。むろん安全を確保する努力はなされなければならない。だが、危うさと背中合わせなのが我々の仕事である。眼前で起きつつある事態をわれわれが伝えなくて誰が伝えるのだろう。報道の責務と生命の声明を秤にかけながら、ぎりぎりの限界に挑むのがジャーナリストの仕事なのである」。
私たちが世界中の情報を得られる情報化社会の裏には、危険と対峙しながら真実に迫ろうとするジャーナリストの存在がある。邦人の殺害という痛ましい事件を機に情報を受け取る側も報道の在り方を考えなければならない。
(安田直人)
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自己責任論は筋違い
後藤健二さんがイスラム国に捕まったとき、日本では彼への非難が集中し、自己責任論とともに「政府や国民に迷惑をかけるな」といった意見が声高に叫ばれた。しかし野中氏は本事件をめぐる日本人の反応について、「これまで我々は後藤さんの残したレポートから沢山の恩恵を受けてきた。それを無視して彼を一方的に批判することは筋違いだ」と述べる。
ジャーナリズムの重要性
21世紀に入っても世界各地で紛争は起こっている。紛争の現状を知ることは、現場となっている国や地域への自国の関わり方を考えるうえで重要な意味を持つ。「物理的に離れたところに位置するという理由だけで中東とは関係がないと考えるのは誤っている」と野中氏は言う。紛争の激化に伴い、中東からの石油の輸出が停止した場合、日本経済のみならず社会生活にも甚大な影響が及び、決して対岸の火事では済まされない。
また日本には、イラク戦争において民主化を根拠としたアメリカのイラクへの攻撃を支持した過去がある。しかし「アメリカはダブルスタンダードの立場をとっており、特に中東に対してはその傾向が強いことには注意しなければならない」と野中氏は指摘する。
友好国であれば、たとえその国が独裁政権であろうが人権侵害をしていようが黙認する。サウジアラビアでは王族が独占的に権力を握っており民主主義からはかけ離れているが、石油大国という理由だけでアメリカは何の行動も起こさない。一方、イランなどの敵対国が同じようなことをすると、「人道主義・民主主義・国際平和」に反するとして徹底的に攻撃する。このようなアメリカのダブルスタンダードが中東で生じている諸問題の引き金となっている。
イラク戦争では日本も自衛隊を派遣し、その費用は当然税金からまかなわれた。中東での紛争という一見関係のないように見える出来事も国民の生活に深く結びついている。国民はそれが適切なものなのかを判断する必要がある。そこで現状を正確に理解するために、政府から独立し客観的な情報を伝えるジャーナリズムが不可欠となる。ジャーナリズムは民主主義の根幹を担っている存在なのだ。
戦場に赴く意義
「戦地に赴く以上、命を落とすリスクをゼロにすることはできない。そのリスクを極限まで小さくしている」のが戦場ジャーナリストだという。土地勘があり、信頼できるガイドを雇い、ゲリラ活動が活発な夜間は出歩かない。戦場ジャーナリストは細心の注意を払って取材している。
「それでも命を落とすことがある。その点でジャーナリストは、とび職やトンネル工事に就く人たちと似た職業」だ。リスクがあっても誰かがその仕事をやらなければいけない。青函トンネルが開通するまでに多くの殉職者を出したが、それによって工事を止めることはしなかった。
ジャーナリストが戦地に向かわなければ救われない命が沢山ある。悲惨な状況に陥ったとしても、それを伝えなければ国家も国際社会も動かない。ジャーナリストの勇気ある行動は、民主主義が正常に機能することに寄与し、また世界中の数多くの人を助けることにつながっている。
(小林良輔)