塾生新聞は創立時から45年に渡って、新聞を発行し続けてきた。45年もの月日の間に、新聞以外のメディアが台頭し、新聞を取り巻く状況は刻々と変化してきたといえる。また、近年では若者の活字離れやインターネットの発達によって、新聞というメディアそのものが転換期を迎えている。 創刊500号というこの機会に、さまざまな立場から新聞の特徴や今後進むべき道を見つめてみたい。
(寺内壮・長屋文太・藤浦理緒・榊原里帆・成田沙季)


慶大のメディア・コミュニケーション研究所の講師も務める伊藤氏
慶大のメディア・コミュニケーション研究所の講師も務める伊藤氏

◆TBSラジオ&コミュニケーションズ
取締役 伊藤友治氏

新聞は一次報道に力を
情報を的確に 新聞の優位性

メディアを語る時、伝達媒体としてなのか、伝達する中身なのか分けて考える必要がある。伝達媒体としての新聞は技術的な面で他のメディアから遅れをとっていると言えるだろう。だが、伝えている中身(コンテンツ=記事)という観点から見ると、やはり優越性がある。

確かに紙媒体である新聞に対して、速報性や臨場感、読者の利便性に関してはテレビやインターネットの方が勝っている。しかし、インターネットでは個々のニュース記事の価値や社会的な位置付けが伝わらない。テレビは新聞に比べて二次的な情報に頼り過ぎ、「隠れているもの」あるいは「隠されているもの」を発掘してそれを一次情報として伝えるという点で、やや後塵を拝しているというのが私の見立てである。国民の知る権利に十分に応えるために、もっと一次報道に力を注ぐべきだと考える。

また、テレビは映像メディアであるがゆえに、どうしても映像や音声の有無がニュースに取り上げるべきか否か、大きく扱うべきか、そうでないかの基準になってしまう。その結果、大切なニュースであっても、映像がない、音声がないという理由でボツになったり、小さな扱いになったりしてしまいがちだ。新聞は記事によって紙面上の扱いが変わるので、それぞれの記事の情報価値や位置付けなどが一目瞭然だ。たとえ、1段のベタ記事でも、紙面に載ることで読者に情報を確実に伝えることができる。そういう意味で、新聞というメディアはまだまだ優位性を保っている。

信頼を得られるメディアに

ただ、これからは新聞と他のメディアという構図から離れてマスメディアそのもの在り方を検証する必要があると思う。

最近は国民のマスメディアに対する不信感が高まっている。これは私たちの非常に重大な反省点でもある。国民の信頼を取り戻すために、メディアの側が、もっと謙虚に、より自省的な態度で国民に向き合わなければならないと思う。新聞に関して言えば、報道機関として機能すること、そして、それと同時に言論機関としての主張やイデオロギーに固執し過ぎることなく、様々な考え方や見方、特に反対意見や少数意見などを幅広く提示していくことだ。それが信頼を取り戻す第一歩になるだろう。

学生新聞の今後

慶應塾生新聞に関して言えば、伝統のある読者数も充実した立派な「メディア」だと考えている。多くの塾生、塾員が慶應義塾の近況を知ろうとして読んでいる。この期待に応えるため慶應塾生新聞は慶應について最も詳しい情報を提供し得る新聞であるべきだ。記録性を重視する一方で、価値のある、塾生新聞でしか入手できない情報を積極的に届ける努力をしてほしい。

情報の価値とは、一般に共有されていないこと、新しいこと、有用であることだと私は思う。そして取材の労が多いほど真実に近付くことができる。労を惜しまず取材に取り組んでほしいと願っている。