私は真面目に勉強して大学に入った。入学したての頃は、それまでメディアでしか名前を拝見したことがない先生に教えてもらうのが軽薄に嬉しかった。哲学史、科学史、社会学、歴史などの授業は、さすがに大学に入ったんだなと実感した。
英語では有名なシェイクスピア学者に現代演劇を習い、伝説の英文学者にデズモンド・モリスの『ジェスチャー』を習った。面白かったけど、少し期待していたのと違った。
ドイツ語ではワーグナー学の権威に初等文法を習い、新進気鋭の音楽学者に「ある日私は、女友達のモニカと一緒に、旅行会社を訪れた」という文章が出てくる初等読本を習った。
フランス語の教科書の例文を「彼女は優れたピアニストで、彼女の夫は有名なペンキ屋だ」と訳して、ピアニストの夫といえばやはりペンキ屋よりも画家じゃないかと、先生に私見を述べられて納得した。
何か大学生らしいことをしようかと思って、夏目漱石『三四郎』に、主人公が蕎麦屋で酒を飲むことを憶えたというような一節があるのを思い出して、大学の近くの蕎麦屋で鴨南蛮を注文して酒を飲んでみたが、あまりピンとこなかった。文学的な典拠はなかったけれども、東横線の中で、ドアに寄りかかってマクドナルドのハンバーガーを食べたときには、かなりの解放感があった。大学院に入って、パスカル『パンセ』を講読する授業中にやきそばパンを食べたときには、それほどでもなかった。
2年生の冬にミシェル・フーコー『狂気の歴史』を読んだ。これは、東横線のハンバーガーをはるかにしのぐ、まぎれもない感動だった。私は理系と文系のどちらの科目も好きだったので、科学史や科学論に興味があった。精神医学にもなんとなく興味があった。難解な本だったので、その本の第1章から、段落一つ一つに番号を振って、その内容とロジックを丹念にたどった。
同じ著者の『臨床医学の誕生』『監獄の誕生』などについても同じように読んだ。進学するときには、何のためらいもなく科学史・科学哲学科を選んだ。学科の先生や先輩たちが、フーコーにあまり興味がないか、あるいは批判的だったことは、フーコーの魅力をますます高めた。
「まず形から入ることが大切だ」という趣旨の台詞を良く聞いていたので、それに素直に従って、床屋に行ってバリカンでスキンヘッドにしてもらって、フーコーに倣った髪型にした。そのうち、私はわざわざバリカンで刈らなくても、大体スキンヘッドらしいものをキープできるようになった。ちょっと悲しいが、物事の明るい面を見て前向きに生きるようにして、少しフーコーに近づいたと思うことにしている。
(談)