庁舎解体を巡る議論は続く
このように地元の復興に貢献している復興ダコの会だが、震災から3年が経った今、会で働く大森丈広さんが問題視しているのは、「復興計画の進行の遅さ」だという。
南三陸町では2013年から2023年までの10年を目安に、復興・まちづくりを進めるという計画が掲げられている。「自然・ひと・なりわいが紡ぐ安らぎと賑わいのあるまち」を将来像とした創造的復興を目指しており、住居の高所移転を初めとする環境整備や公共交通の改善が計画されている。
しかし、震災による人口減少によって少なくなった運転手や事業者で町営バスを運営することは困難であり、代行バスの本数は次第に減少した。鉄道の運行も未だに復旧しておらず、このような交通の便の悪さが今も町では目立っている。また被災した建物がそのままの形で今も町に残っている状況が続いている。これらの建物を震災遺構として残していくべきかの判断はまだついていない。震災のシンボルとなっている南三陸防災対策庁舎もその一つだ。
庁舎を巡る対応は二転三転している。2013年9月には被災者の遺族による訴えなどを理由に、今年の3月に解体することを正式に予定していた。
しかし、国の方針が積極的に遺構保存の支援を行う方向に変わったことを受けて、宮城県の村井嘉浩知事は震災の悲惨さを表すシンボリックな建物として庁舎を保存するべきという考えを述べた。
庁舎の解体には県全体の関心が集まっており、実際に町内の署名活動では延期を訴える声が集まった。大森さんも、「解体が決定しても、壊すのに時間がかかるだろう。それなら庁舎を町に残しておくのもいいのではないか」と話す。現在、庁舎の解体は延期となり、今後開かれる県の有識者会議の結果待ちとなっている。
このようにさまざまな問題が今も残る南三陸町。しかしそれに屈することなく、町内に住む人々の復興への足取りは進んでいる。
2012年2月に開設された仮設商店街の「さんさん商店街」では昔からの特産物であるタコやイクラ、ウニを提供し、観光客を集めてきた。また観光協会でも漁業や養殖の体験プログラムだけでなく、南三陸屈指の景勝地「神割崎」といったビュースポットを紹介してきた。津波という形で一度は牙をむいた海だが、南三陸の復興にかかせない恵みと景観を与えている。南三陸の人々が海と共に生きる限り、これからも海に対する人々の思いが変わることは無いだろう。
(藤浦理緒)