日本の景気はここ数年回復してきていると言われているが、学生個人としてその実感はあまりない。「景気回復」とは一体何なのか。慶應義塾大学経済学部教授金子勝氏に話を伺った。

 金子氏が見る現在の景気回復は、一種のメディアトリックである。ものごとには様々な側面があることを無視し、実質GDPの伸び(経済成長率)がプラスの期間が、60年代から70年代の間に起きた「いざなぎ景気」を超えたということだけを強く主張する。そのために、他の重要な面を見えなくしてしまう。

 まず、ここで言われる「景気回復」はいざなぎ景気とは本質的な違いがある。当時の名目成長率は10パーセントを越えるようなものであった。それに対し現在の成長率は1パーセント程度である。そして、このふたつの好景気の違いは数字上だけのものではない。

 経済成長のパターンそれ自体にも大きな違いがある。いざなぎ景気の時代、民間企業の設備投資意欲が強く、春闘などを通じて企業利益が家計へ還元され、家計の消費意欲も旺盛であった。また財政赤字も解消に向かっていた。つまり、民間企業と家計の好循環が日本の経済成長を支える要因となっていたのである。

 それに対し、現在の経済成長は一部上場企業の輸出によって支えられ、大企業は多額のフリーキャッシュフローをため込んでいる。小泉前政権下における構造改革では、日銀の超低金利政策、企業減税による財政赤字政策、労働市場の規制緩和などが進められた。日銀の超低金利政策は結果として円安を引き起こし、労働市場の規制緩和は雇用の非正規化を誘導することとなった。その結果、格差が拡大し貧困が増大する。これらの政策は輸出を行っている企業にとってより少ないコストで大きな利益を得ることを可能にし、輸出を促進させることにつながったのである。

 しかし、その企業利益が社員の給料に反映されることはほとんどない。大企業が輸出を通じて稼いだ利益は、その企業が内部留保を中心として設備投資を行うという循環の及ぶ範囲でしか経済を成長させない。いざなぎ景気の時の日本経済が民間企業から家計を含めた日本全体で支えられていたのに比べると、現在の経済成長は製品輸出ができる一部の企業によって支えられている。そのためGDP(経済成長率)の数字を見たときに経済成長しているのにもかかわらず、国民にその実感がないという状況が生み出されてしまうのだ。

そもそも現在の経済成長が、「景気回復」とは違う性格のものであるのに、「いざなぎ越えの景気回復」と表現してしまうことで、その違いを見えなくしてしまう効果を持つ。

 もちろん、ここで取り上げた視点が唯一正しいものである、と主張するつもりはない。ただ物事にはさまざまなものの見方があっていいはずだ。学生諸君には、どうか複眼的な思考を忘れないでほしいと思う。

(中里美紅)