米国金融の話ではないが、あらゆることが起こり得る。フィクションの様な出来事が実現してしまう現代社会。事実は小説よりも予測不可能なものである。

 太平洋戦争から既に60年以上が経つ。それは徐々に江戸幕府成立や明治維新と共に歴史上の物語と化しつつあるが、戦時中は、あるいは日常ただそれだけで物語に成り得たのかもしれない。

 友の鎮魂のため、軍生活をありのままに小説として描いた作家がいる。第三の新人の1人、阿川弘之である。今月紹介するのは彼の処女長編『春の城』だ。

 広島に原爆の投下される4年前。小説はそこから始まる。主人公、小畑耕二は大学を卒業し帝国海軍へ入隊する。何かひたむきに情熱を注げるものを求めた彼がとりあえず出した答えは、この戦争において日本が有利になるよう自分が役に立つこと、少なくともそうした気持ちを抱けるようにすることだった。彼は思う。これは「若者の光栄ある義務」だと。

 彼は想いを寄せていた女性や家族、恩師を故郷に残し、台湾、東京、中国河北省漢口と、通信兵として暗号解読に従事する。結婚問題や友情、友人の相次ぐ戦死、仕事の行き詰まり、上司との確執。海軍での日々は慌ただしく過ぎ去り、原爆は落とされ、玉音放送は流れる。

 全てを奪った戦争の終結を、彼は故郷から遠く隔たった場所でまるで他人事のように考えているのだった。

 戦争小説、として読むと妙な感じがするかもしれない。新潮文庫で解説を書いている猪瀬直樹氏の言葉を借りればこれはむしろ青春小説と言えるだろう。

 お世辞にも緊張感のあるとは言えない海軍生活。途中挿入される、耕二の友人達に振りかかる災禍とクライマックス部の原爆の惨劇。その異なった2つのテンション故に生じるリアリティ。

 天皇を「天ちゃん」と呼び、東條ら戦犯が死刑になろうが知ったことではないと言い放つ。ただそれでも自分たちが何をしてきたのか分からなくなり、勝者(連合国)が絶対的に正しく、敗戦国が一方的に裁かる事に違和を感じる。耕二にとって「太平洋戦争」とはそういうものだった。

 小説最後の耕二の言葉はいささか偽善的ヒューマニズムの感もするが、戦争という巨大な「物語」に呑み込まれた若者のリアルな思いだったのだろう。

 この作品の発表は敗戦からわずか7年後のことだ。決して有名な作品ではないが、他にはないトーンの名作として一読の価値はある。余談だが、新潮文庫裏表紙のあらすじは、読んでみればどうも首を捻りたくなるものであった。

(古谷孝徳)