6月に富士山が世界文化遺産に登録され、日本中が歓喜の渦に包まれた。富士山のほかに日本は「武家の古都・鎌倉」も推薦したが、ICOMOS(国際記念物遺跡会議)により不記載が適当との勧告を受けた。武家の精神性や宗教性は理解を得られたが、屋敷など武士の暮らしを裏付ける証拠に欠け、全体像が不明瞭だということが主な理由だった。
文学部教授で高徳院の住職もされている佐藤孝雄教授は、「武家の古都というシナリオが外国人にとってわかりにくく、理解を得る努力に欠けていた」と不記載になった原因を指摘する。具体的には「武家」の説明が足りなかったことや市内各所から発掘された考古資料を十分に活用できなかったことが挙げられる。
「世界遺産登録を街づくりのツールにしたい」という旨の鎌倉市長の発言があり、佐藤教授はこれに賛意を示す。観光地、商業地、ベッドタウンなどさまざまな側面を持つ鎌倉。それぞれの既得権がぶつかり、登録に向け一つになれない部分があった。一方で2005年に登録された知床は、街全体がになれたことが大きかったという。登録に向け、街として遺産とどう向き合うかを市民だけでなく、皆で考える機会を増やすのは良いことだろう。
また総括として、これまでの結果やICOMOSの外部評価を真摯に受け止め、シンポジウムを行うなど振り返る機会を設けることが求められる。このままだと「負け試合の延長戦を戦わされている」印象を与えてしまう。
街づくりの観点から見直す
最後に佐藤教授は「今生きている人々を優先して考えるのは当然だが、歴史を無視した街づくりをしてはならない」と強調する。より良い街づくりのために、ある程度の不便さを抱え込むくらいの心構えは必要だ。例えば、イタリアの世界遺産ベネチアでは景観を保つために車を排除し、水上バスなどが主な交通手段になっている。
このように人々が文化財の価値を理解し、協力をし合う上で大事なのが教育だ。街の歴史的価値を日常的に学べる博物館などの施設が不可欠であるが、そういった施設が鎌倉には欠けていた。最近になって博物館構想が動き出したが、遅きに失した感がある。
世界遺産に登録されることだけを目標にするのではなく、その過程で鎌倉という街のあり方をさまざまな角度から考えることが大切だ。たとえ結果が出なくても、鎌倉の歴史的意義や重要性がゆらぐわけではないので、恐れずに歩を進めていきたい。 (矢野将行)