9/28 明治大学・八幡山グラウンド(東京都世田谷区)
12:15 Kick off ● 慶應義塾大学C 5 - 13 明治大学C (練習試合)
14:00 Kick off ○ 慶應義塾大学B 32 - 29 明治大学B (関東大学ジュニア選手権リーグ戦)
9/28。前日の夜からの冷え込みは一段と増し、シャツの上にジャケットを羽織っても依然肌寒い、そんな日曜日の朝9:00。初めて明治大学・八幡山(はちまんやま)グラウンドに足を踏み入れると、ラグビー場に隣接するサッカーコートで、小学生と思しき子供たちがコーチの指導の下、熱心に練習を行っていた。こんなにも多くの子供たちが、しかも朝早いうちからサッカーの練習をしているんだ、と妙に感心し彼らの姿を暫くぼんやり眺めていると、毎週日曜日の朝6時前に起床、サッカーの練習、試合に備え家の外でストレッチやボール扱いを繰り返していた筆者の中学生当時の姿が何故だか蘇ってきた。技術の稚拙はさておき、サッカーへの「愛」だけに生きていたあの頃を思い出し、何班かに分かれてミニゲームに興じる彼らに当時の(と言っても、たかだか十数年前の話ではあるが)自分を重ねて見ていた。そんな思考の最中、寒さは遂に体の芯まで到達し、微かな身震いが止まらなくなっていることに、はたと気付くのだが。
と、余談はそのくらいにしておいて、肝心の「明治大学」である。この大学のラグビーを語る際に、絶対に外してはいけないキーワード、それが「(愚直に)前へ」であるのは今更言うまでもないことであろう。稀代の名監督・北島忠治(故人、1901~1996)氏が明治大学ラグビー部で67年もの長期に渡って監督を務める間、一貫して唱え続けた言葉として有名であり、それがそのまま現在の明治の戦法の代名詞ともなっている。「(愚直に)前へ」。シンプル極まりないこの言葉は、つまるところFW勝負に徹しよ、と説いているのだ。
積年のウィークポイントでもあるBKの展開力には一先ず目を瞑り、とにかく前から相手に獰猛に襲い掛かる。セットプレーに関しても、スクラムの押しで圧倒、ラインアウトではひとたびボールを奪取するや、あとはモールでグイグイ押し込むというスタイル。「重戦車」が眼前のものを蹂躙(じゅうりん)して、ひたすら前に進んでいくような、そんなイメージを持っていただければよいのではないか。だが、北島監督が亡くなってからしばらくの間、明治もスタイルの変遷を重ね、と言えば聞こえはよいが、悪く言えば迷走していた面もあった。ただ、明治OBの藤田剛氏がラグビー部のヘッドコーチに就任(2006年~現在)してからは、明治も原点回帰の志向を強めていると見てよい。因みに、藤田氏も選手時代はHO、いわゆる2番のポジションで北島監督の薫陶を受けた一人であり、「重戦車軍団」の復活を誰よりも望んでいたに違いない。実際、今の明治のFWの連中は、とにかくデカイ。これは、選手名鑑で選手の身長や体重なんかをしこしこ確認するよりも、それこそ実際に試合でも観に行って自分の目で確かめてもらうとよいだろう。例えば、相対的に軽量級と見られても仕方ない慶應の選手たちと彼らとを比較したならば、その数字以上の「差」を感じるに至るに違いない。
でも、サイズ的に不利だからグラウンドの全面で相手に圧倒されるのか、と言ったらそうではないのがラグビーの魅力であり、醍醐味でもあるというのは、何度言っても言い過ぎることは決してない。少なくとも、林雅人監督の言葉を借りれば「ラグビーは、大きさや重さでするものじゃない」のだ。小さいものが大きいものを打ち負かすには、そう“頭”を使うしかない。例えば、戦前から「スクラムの劣勢は織り込み済み」(CTB濱本将人)。そういった状況下で、慶應ができることは何だ?考える。また考える。そうすると、以下のような答えが自然と導き出されてくる。
関東大学ジュニア選手権リーグ戦、明治大学B戦に臨むに当たっての慶應側の戦略は、FWの強いチームと対戦する時の常套手段でもある「エリアマネジメントの徹底」つまり、極力自陣での攻防を避け、敵陣で戦おうというものに相成った。自陣でスクラムを組まれたら「もうその時点で(トライの)5点中3点は決まったようなもの(笑)」(林監督)なのだから、とにかく自陣でラグビーをするようなことだけは絶対に避けようという認識を持って、選手たちも試合に入っていった。だが明治大学Bチームとの試合前に行われた両大学Cチーム同士の練習試合では、林監督の意向がまるで反映されない、お粗末な試合を見せられてしまった。最終的な点差こそ8点と、点数だけ見れば健闘したように見えなくもないが、前半はほぼ自陣に釘付け(ただ、相手の猛攻に耐えに耐えた防御に関しては評価したい)、ボールを敵陣に持ち込むことすら出来ず、後半に何度か前に出るも不成功、逆に前に出てきたところを巧くつかれ、2トライと1DG(ドロップゴール、3点)を決められてしまった。少々期待はずれに終わった明治大学Cチームとの練習試合であった。
肝心の関東大学ジュニア選手権リーグ戦、明治大学Bチームとの試合は、一転慶應が終始ペースを握る展開に。この試合の個人的な“MOM(Man Of The Match)”はCTB濱本将人(法政3)で決まり。試合中は常にハードタックル、普段からビシッと低く鋭いタックルを相手の膝下に繰り出すことで頼りにされている漢が、この日もまばゆいばかりの輝きを放った。彼の機を見てのタックルが明治の流れを遮断し、慶應の窮地を幾度となく救った。見事なタックルの連続に、試合中にも関わらず観客席から「濱本のタックルはピカイチ」との声が飛んだほど。本人は試合後「(タックルを)外された部分もあるので、そこを突き詰めていかないと…」と謙遜したが、この日の殊勲であることは間違いない。また、彼の堅固な意志は他の選手たちにも伝染し、彼に乗せられたかのように、他の選手たちも気持ちのこもったタックルを連発し、試合を通じて明治に流れを明け渡すことはなかった。接点の部分で、明治に競り負けなかったことは間違いなく今後の大きなプラスになる。慶應にとっては、実り多きゲームとなった。
ジュニアの試合後、慶應・明治両チームの選手ともに、自らの体に備わったエネルギーを全て放出し果てたような、いわゆる“オールアウト”に近い状態になっていて、見ている側の人間からすれば、なかなか感動的であった。試合慣れしていない分、一試合で蓄積する肉体、精神両面での疲労もレギュラー選手以上のものがあるだろうが、こういった経験を自らの滋養にし、一層成長していって欲しいものだ。
まずは、明治の選手たちに感謝しなくてはならない。残り時間を考慮して逆転が不可能に近くなっても、ノーサイドの笛が鳴るまで決して試合を投げ出さず、最後の最後まで慶應に食らい付いてきた。彼らに、試合後大きな拍手が送られていたのも良く分かる。彼らの健闘を素直に称えたいと思う。
慶應も、まさにチャレンジャーのごとく、試合中は頭の先からつま先に至るまで闘志漲る様で、見ていて本当に気持ちよかった。試合後、個人的にHO川村慎(法政3)に話を訊くと、彼はその「答え」をしっかり教えてくれた。「先日Aチームが良い試合(筑波大学戦、○39-17)をしたので、Bチームの選手たちには、『ここで良いプレーしないとAに上がれない』という危機感があった。モチベーション高く試合に臨むことができたんじゃないかと思います」。彼も普段はレギュラーメンバーとして試合に出場している身。「筑波戦でタックルが良くなかったので、もっと厳しくタックルしようという意図を込めて」(林監督)今回Bチームの試合に出場することになったのだが、彼もこの試合でサブメンバーの心意気をダイレクトに感じたようだ。再びレギュラーに戻って試合に出場した時、今度はどのようなパフォーマンスを見せてくれるか、今から楽しみである。
細かいプレーに関して言えば、前回の帝京大学戦で露呈したセットプレーの部分の脆さは改善され、「スクラムは本当に強かった。これ以上のスクラムを組んでくるチームは(大学レベルでは)ほとんどない」と川村も語る明治FW陣とのボール争奪局面でも、スクラム以外で後手に回ることが少なかったのは、高く評価してよい。前回の反省点をしっかり修正してくるあたり、林監督含めスタッフの能力の高さを見てとることができる。
唯一難癖をつけるとすれば、試合を通じてのプレースキックの精度の低さか。特にトライ後のコンバージョンキック成功率が約17%(計6トライに対し1ゴール)」では、言い訳の仕様がない。それほど難易度の高いキックであったとは思わないが、多少緊張もあったのか、うまくゴールポストを捉えることができなかった。結局この足踏みが、明治に「余計な」勝ち点を与える結果となってしまった(※関東ラグビーフットボール協会の取り決めにより、ジュニア選手権リーグ戦は7点差以内の負けであれば、負けチームにも“勝ち点1”が付与される。詳しくは、前回の帝京大学とのジュニア選手権リーグ戦の記事を参照されたい)わけだから、今後はこういったことの無いようにしなくてはならない。前回の記事でも指摘した「試合のマネジメントの部分」での成長が、慶應Bチームには求められている。ただ、トータルで見れば、個人的にはこのチームに対して非常に好感が持てる。個々の力でAチームに劣る分、チーム全体での粘りのディフェンス→素早いカウンター攻撃に絞って勝負しているところが、逆に心地よい。
(2008年9月29日更新)
取材 安藤 貴文