慶大から初のプロ棋士誕生
プロ将棋棋士の養成機関である奨励会の三段リーグの最終局が9月8日に行われ、理工学部数理科学科4年に在籍中の上村亘さんが昇段を決め、慶大から初めてのプロ将棋棋士が誕生した。
そもそも、棋士を目指す人の大半は修行に専念するため、大学に進学することさえ珍しい。そんな中で、なぜ一般受験で慶大進学を考えたのかと問うと、明快な答えが返ってきた。「棋士になれない場合を考えてのことで、一般の就職に支障のないようにしたかった」。奨励会では26歳までにプロになれなければ退会、という鉄のおきてがある。26歳まで将棋一筋でやってきて、急に一般社会に放りこまれるリスクは大きすぎた。
将棋と受験との両立は困難も多く、ラストスパートの1、2月は奨励会を休会して受験に挑んだという。大学に入学してからも、将棋と学業の両立には悩まされ、もっと将棋の研究をする時間が欲しいという思いはあった。しかし、「少し将棋から離れたところで、急激に力が衰えることはない」と割り切り、試験期間はほとんど勉強漬け、普段の学期中も将棋と学業とは時間を1対1に割いて全力で励んでいたという。
諦めない気持ちで夢をつかんだ
そうした生活を3年次まで続け学業では成果を出していたが、本業である将棋の方では苦しい日々が続いていた。プロ棋士になるには奨励会で四段になれば良いのだが、大学2年生の春に二段に昇段してからは、全く昇段の機会に恵まれず低迷していた。進路に迷いが生じ、棋士を諦めようかという思いがよぎったこともあったという。
それでも「中途半端なままの状態でプロ棋士になる夢を諦めたくなかった。専念してダメなら仕方ないと腹をくくった」と、2009年に将棋に専念することを理由に大学を休学する決意を固めた。
こうして苦しみながら三段昇段を果たしたが、着々と年齢制限の影が忍び寄ってもいた。24歳の昨年には、勝てばプロ入りという大一番を落とし、「今となってはいい思い出だが、当時は地獄を見た思いだった。全身の血が逆流したかのような気分に襲われ、二度と棋士になる機会は訪れないのではないかと思った」、と壮絶な思いを振り返る。
幾多の葛藤を経て、晴れて念願のプロ棋士に。慶大から史上初のプロ棋士になったことについては、過去に輩出していないという意味では名誉なことと認めた。「早大からは結構いるけど、今まで慶大から出なかったのは不思議」
2011年まで休学していたが、「学業の方も中途半端では終わりたくない」と、来年から復学して卒業するつもりだという。
ここまでも大変な道のりだったが、棋士人生はここからが本番。慶大棋士・上村さんの、今後の活躍に期待したい。
(佐野広大)