20年ほど前、W杯出場など夢のような話だった日本サッカー。しかし、近年はどうだろうか。記憶に新しいのは、南アフリカW杯ベスト16進出に始まり、U―23代表のロンドンオリンピックベスト4、そしてなでしこジャパンのW杯優勝とオリンピック銀メダル。この数年間で日本サッカーは国際大会で素晴らしい結果を残してきた。その躍進を裏で支える日本サッカー協会の会長に、慶大のOBである大仁邦彌氏が就任した。
大仁氏は、慶大への入学とともにソッカー部に入部。「練習をきちんとやってなくて、試合でいいプレーができるわけがない」と練習に真摯に取り組み、サッカー漬けの日々を送った。2年続けて留年するもその努力は、大学に在籍した6年間のリーグ戦全試合フル出場という結果に結びつく。その活躍が認められ、卒業後は当時サッカーの強豪であった三菱重工に入社。粘り強いディフェンスでチームを当時の日本リーグ、天皇杯などでの優勝に導いた。
「サッカーをやっていた中での一番の目標だった」と話す日本代表にも選出された。当時の世界的スター選手のペレやボンホフなどとも対戦し、世界とのレベルの差を感じるとともに、海外のサッカー専用スタジアムの充実度にも大きな印象を受けた大仁氏。当時、日本にはサッカー専用スタジアムはなく、「陸上のトラックをはさんで試合を見てもらうことは、やはり申し訳ない気持ちもあった」と振り返る。この選手時代の経験は後に、自身の仕事に大きく生かされることとなった。
若いころの経験が日本サッカーの躍進支える
2002年の日韓ワールドカップ。開催に向け日本サッカー協会はW杯仕様のスタジアム建設の必要に迫られていた。現役を引退後、競技場などの各種大型装置を売り込む営業マンだった大仁氏はこの事業に参加することになり、日本サッカー協会の仕事に関わり始めることになる。「埼玉スタジアム2002」などW杯用のスタジアム整備に尽力し、代表時に感じた世界の壁を自らの手で壊していった。
大仁氏は日本サッカーの発展における大学サッカーの役割を、「プロにはまだ届かない高卒の選手たちが、さらなる経験を積む舞台となっている」と話す。慶大ソッカー部においても、昨年度は5人がプロ入りを果たすなど、プロ入りを目指す学生の大きな受け皿の役割を担っている。もしサッカーの道で伸び悩んだ際にも、就職などの選択肢を与えてくれるのも大学進学のメリットだ。また、は大学サッカーの試合が、学生主体で運営されていることを高評価した。自身も代表時の経験が後に繋がったと話す大仁氏。「色んな経験をすることでマイナスになることはない」と、学生がさまざまな経験を積む場としても大学サッカーに期待している。
最後に塾生に向けても、「色んなところでチャレンジして経験を積んで、後の人生に生かして欲しい」とメッセージを送った大仁氏。現在飛ぶ鳥を落とす勢いの日本サッカー界をさらなる高みに導いてくれることを期待したい。
(寺内壮)