「なだいなだ」とは「何もなくて、何もない」という意味のスペイン語だ。精神科医としてアルコール依存症治療に携わるかたわら、機知に富む著書の数々でも知られるなだいなだ氏。「医者が本名でものを書くと不便。患者さんが書かれたくないとか書いてほしいとか思って嘘をつくことがあるから」とペンネームを用いる理由を明かす。
はじめから、医師になりたいと思っていたわけではなかった。母方の祖父が医師で、母は息子が医師になることを切望していた。「受けて落ちれば母も納得するだろう」。軽い気持ちで医学部を受験したが、皮肉なことに慶大医学部しか受からなかった。「しまった、と思ったね」
将来は文筆業で生計を立てたいと考えていたが、それでは心もとないと精神科医に。「精神科の患者さんは放っておいても死ぬことはないが治ることもない。一番ヤブ医者向きだと思った」と笑う。しかし、実情は思ったほど楽なものではなかった。
35歳のとき、アルコール専門病棟の責任者に命じられ国立久里浜病院に赴任。久里浜病院にはアルコール依存症患者を対象にした日本最初の専門病棟が建てられようとしていた。それまで数人のアルコール依存症患者を治療したが一人も治った人はいない。断ろうとしたが、「責任者になれと命じた教授が『そもそも、あれは治らん病気だ。治るとか治らないとか気にするな』と。それで断りきれなくて引き受けてしまった」。
アルコール依存症は進行するとアルコール摂取を中断した際、発熱、震顫(しんせん)から妄想まで様々な離脱症状が現れるようになる。この症状が辛いため、逃れようと飲酒を繰り返してしまうが、断酒すれば十数日で消失する場合がほとんど。アルコール依存症の本質的な問題は、身体症状ではなく、たとえ断酒させても多くの患者が再び飲酒してしまうことだ。つまり、いかに再飲酒を防ぐかが治療の要となる。
治療を続けるうち、断酒を継続するためには患者自身の自立や成長が重要であることに気がついた。たとえば、抗酒剤を勧めても「自分だけの力で断酒できる」と拒否していた患者が、薬を飲むと家族が安心することに気づき、家族のために薬を飲むようになる。自己中心的だった人が他人のことを考えられるようになったのだ。また、なだ氏が久里浜病院に赴任した当時は、断酒会などアルコール依存症患者の自助組織がつくられた時代。退院後もそのような組織に積極的に参加する患者が断酒を継続しやすいこともわかった。
そもそもアルコール依存症患者は専門医に対して絶対的に数が多い。それなら患者自身に治療の主役を担ってもらおうという思いから生まれたのが「こころ医者」というアイディアである。
病気を治してこころの問題の解決を図るのが「精神科医」なら、患者本人の心を成長させて解決しようとするのが「こころ医者」。「こころ医者」には専門知識はいらない。うつ病などこころの病を抱える人が増えている現代、より多くの「こころ医者」が求められるという。
「精神科医は社会と密接な関係があり、治療の一部が社会の方向性を決めるともいえる」となだ氏。「なるべく自我の確立した人が多い社会を目指したい」。そのためには、精神科医という枠にとらわれず、看護師、家族、さらには患者自身の手も借りる。なだ氏の視野の広さと柔軟性の背後にアルコール依存症患者とともに歩んできた45年を超える歳月の重みを感じた。
(西原舞)